[トベラ]
- 夫婦だけの時は感じないのに、子どもが生まれるとアパートが何となく狭苦しくなる。子どもの存在のほかに、子育てのための物品が増えてくるからだろう。「わが家がほしい」と思うのは自然の成り行きだ。
- 石川啄木も東京に家族を迎え、そんな思いだったに違いない。「家」という詩がある。<今朝も、ふと、目のさめしとき、/わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、/顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、…><この幾年(いくとせ)に幾度も思ひしはこの家のこと、…>。
- 啄木一家は床屋さんの2階に2間を借りて住んだ。妻と子どものほか両親も一緒だった。ずいぶん狭苦しかったことだろう。が、家を建てるお金がない。思いは詩に託すしかなかった。
(2013-06-13 東奥日報)