〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の短歌が、現在も読む人の心を貫くこと -サンデー毎日-


[ガマズミ]


サンデー毎日 [2013年6月23日号 370円]
「死ぬまでに読みたい/時代を見据える目は貧しくとも鈍らない」(コラム:SUNDAY LIBRARY:)
 石川啄木・著「一握の砂・悲しき玩具」新潮文庫
 南陀楼綾繁・評(なんだろう あやしげ ライター・編集者)

  • 石川啄木は借金の名人だった。故郷渋民村、盛岡、小樽、釧路、東京と、まさに「港港に借金あり」の様相だ。
  • 歌集『一握の砂』からも、啄木の流転の人生がたどれる。「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」には、神童と呼ばれた前途洋々の少年がいる。それが「石をもて追はるるごとく」故郷を後にしてからは、どの町でも安住することはできなかった。
  • 「何がなしに/さびしくなれば出てあるく男となりて/三月にもなれり」この歌集に出てくる「何がなしに」というフレーズは、進退きわまって、宙づりになった心境を表しているようだ。目の前の現実から、ちょっとだけ逃げていたい。ダメな奴だなあと笑いながら、自分も同じだと感じる。
  • 「我々の要求する詩は、現在の日本に生活し、現在の日本語を用い、現在の日本を了解しているところの日本人によって歌われた詩でなければならぬ」(『弓町より』)と啄木は宣言した。
  • そうやってつくられた短歌が、没後101年経った現在も読む人の心を貫くというのは、恐るべきことだ。

(2013-06-11 毎日新聞