〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 うたの風景 第34回(最終回)」岩手日報


[全国の啄木文学碑(2012-11-28 岩手日報)]


第 34 回
  エピローグ
漂泊の詩人、石川啄木が足跡を残した北海道、東京、そして古里・岩手。啄木が亡くなって100年の今年まで、啄木とその作品を愛する人々によって、多くの文学碑が建てられてきた。


盛岡一高
  先輩の心 未来に重ね

   盛岡の中学校の
   露台(バルコン)の
   欄干(てすり)に最一度我を倚(よ)らしめ

  • 盛岡市上田の盛岡一高。啄木が青春時代を過ごした追憶の「白亜城」から4代目、1999年にできた校舎は白い外壁がまぶしい。校門を入り、すぐ右側。啄木の歌碑は生徒が使う昇降口の正面にある。生誕120年に当たる6年前、同窓生有志が贈った。
  • 文学研究部の生徒たちは、将来について深く考える時期にいる。自分の未来を重ねながら啄木の歌と人生を見つめている。


高知駅
  父子の歌碑 共感今も

  • 2009年5月に完成した高知市のJR高知駅南口広場。新しい駅舎を出て時計回りに南端まで歩くと、啄木と父石川一禎の歌を刻んだ石碑がある。
  • 1927(昭和2)年2月20日。啄木が亡くなって15年後、一禎は高知駅近くの官舎で息を引き取った。76歳だった。

   よく怒る人にてありしわが父の
   日ごろ怒らず
   怒れと思ふ
老いた父を詠んだ歌は歌集「一握の砂」から。

  • 「啄木の父石川一禎終焉の地に歌碑を建てる会」が、地元の呼びかけ人を100人近く集めて募金活動を展開し、半年で碑ができた。


◎ 望月善次さん(国際啄木学会会長)インタビュー
  胸打つ表現 世界へ

  • 啄木の作品はこの100年、人々にどう読まれてきたのか。

「啄木は、没後に新潮社の全集で大きく知られるようになり、国民詩人の道を歩む。」「その後は時代によって評価が動いた。」

  • 啄木の広がりは学校教育の影響もある。

「短歌だけに限ると、啄木は常に小中学校で人気ナンバーワンと言っていい。」「だから啄木の短歌は全員読んでいる。これは分かりやすいということが大きい。そして有名でなくてはいけない。」

  • 未来に向かっても読み継がれていくと思うか。

「啄木の作品は読んだ人を引きつけてやまない。それは啄木が懸命に生き、人間洞察への本質性を持っているから。次の100年も国境を越えて読まれていく。『日本の啄木から、世界の啄木へ』というのが私の強調したいこと。そのために翻訳も含め、いろいろな形で読んでもらうことが大切になる」
(学芸部 小山田泰裕)
(「啄木 うたの風景」今回で終わり)

(2012-11-28 岩手日報