〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の交友録(42)「街もりおか」


[「啄木の交友録」コピーと11月号表紙]


月刊誌「街もりおか」
啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏


42. 田口 忠吉  2012年11月号(No.539)
田口忠吉は、明治17年盛岡市本町に生まれた。盛岡中時代に一級上の啄木と知り合った。啄木が主宰していた短歌グループ「白羊会」に入り、同級生の小林茂雄や平野八兵衛らと親交を結んだ。
父が営んでいた田口商会は、塩やたばこ、酒などを小売りしていた。大正15年、忠吉は田口写真機店に商売替えをした。写真屋としては、おそらく岩手でも一、二を争う先駆けであった。
啄木との直接的なエピソードは伝わっていないが、啄木没後における啄木顕彰には力を注いだ。盛岡天満宮の啄木歌碑が昭和8年に建つまでには、得意の写真技術を駆使して、歌碑に刻む文字について啄木の真筆から集字拡大を行った。建碑の資金集めに当たり啄木絵葉書や啄木筆の色紙作りにも尽力した。その後も、「郷土詩社」という絵葉書屋を興し、「啄木とふるさと」シリーズの絵葉書などを全国に向けて発行した。