〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「2011 盛岡大会」<その 4 > 研究発表 山田武秋 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》



[さんさ踊りの和紙人形 盛岡駅]


<その 4 >
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研究発表
  山田武秋「津波と砂と石川啄木 〜『一握の砂』巻頭十首と「地湧の菩薩」〜」


○ 啄木と法華経

  • 3.11大震災における被災者の立派な様子が報道されたことに対し、世界中から賞賛の声が上がった。これを聴いて私は法華経の「地湧(じゆう)の菩薩」を思い出した。末法の世の中にあって法華経を信じていれば地面が割れて中からガンジス川の砂の数に等しい菩薩が湧いてくるというもの。ひょっとしたら今度の津波で起こったことはこういうことではないのか。多くの人が力を合わせ、世界中からも募金が寄せられた。みんなの中にある菩薩の心が掘り起こされたのではないかと思った。
  • 啄木はこの話「地湧の菩薩」を知っていた。高山樗牛文芸時評日蓮上人とは如何なる人ぞ」の文章を17歳の啄木は一生懸命読んでいた。日記のなかにも、友人に対し「法華経よみ玉へ…」、と書いている。

法華経』(「(従地湧(じゅうじゆう)出品(しゅつほん)第十五」)
わが娑婆世界に六万恒河沙の菩薩あり、彼等わが滅後において、よくこの経を護持し、読誦し、弘通せんと。梵音十万に徹し、三千ことごとく震い響く。このとき大千世界の国土、皆震裂して無量千万億の菩薩・同時に地中より湧き出しぬ。……

  • 啄木にとっての「砂」は決して無機質で「いのちなき」ものではなかった。「地湧の菩薩」で無数の菩薩に喩えられたごとく啄木にとって「砂」は聖なるいのちそのものであったとも指摘できよう。


○ なぜ、「死と再生」のドラマとされる巻頭「砂 10 首」の最後が「大といふ字」だったのか

  大といふ字を百あまり
  砂に書き
  死ぬことをやめて帰り来れり

  • 「大といふ字」の出典は、「典座教訓(てんぞきょうくん)」(寺の賄い方の作法や心得を説いたもの)に求められる。

「典座教訓」道元禅師
 所謂大心とは其の心を大山に、その心を大海にし、偏無く黨無きの心なり。・・・大の字を書すべし、大の字を知るべし、大の字を學すべし。

  • 大心とは、「三心」すなわち「喜心」「老心」「大心」の一つで、この世に生を享けたことを感謝する「喜心」、親のような慈しみの心である「老心」、大山のように高く、大海のように広く深い心「大心」。啄木の「大といふ字」は、「大心」の「大」が意識にあって書いたのではないか。
  • 啄木と道元の接点についてみてみると、啄木が法華経に親しんでいた事実はあっても、「典座教訓」との直接の関連は読み取れない。しかし、「典座教訓」から題材を拾った法話を父などから聞かされていた可能性は高い。その証拠が啄木の『一握の砂』の「大といふ字」であるといえるのではないか。

  見しこともなく名も知らぬ一茎の草を見出でて涙とまらず(『悲しき玩具 直筆ノート』石川啄木

  • この歌に出てくる「一茎の草」すなわち「一茎草(いっきょうそう)は、「典座教訓」の有名な一説に出ている。啄木のなかではどこかで「典座教訓」とつながっているのでは…と思っている。



[発表する山田武秋氏]


○ 『一握の砂』というタイトルとアショーカ王の物語

  いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ
  しつとりと/なみだを吸へる砂の玉/なみだは重きものにしあるかな

  • これらの歌も「典座教訓」と関係があると思っている。

事を慕ひ道に耽るの跡、沙を握りて寶と為すも猶その験有り。「典座教訓」

  • 「沙(すな)を握りて寶(たから)と為す」はアショーカ王の話に基づいている。托鉢をしていた釈尊に、何ももっていなかった子どもが砂で握った煎餅を差し上げた。その功徳で子どもはアショーカ王として生まれかわった、という話。
  • 小説家になりたい啄木が、一生懸命ことばを紡いでも結実しない。煎餅にならない。いのちないもののようにさらさらと指のあいだから落ちてしまう。その絶望を歌に托したのが「いのちなき砂の…」の歌ではないか。啄木にとって砂というものは命なきものではなく生あるものであると思う。だからわざわざ「いのちなき砂」とあらわした。
  • 啄木の涙を吸った砂が「玉」に変わった。「玉」は悟りそのものを現す。一粒のなみだを流す心さえあれば、そのなみだが「玉」となって奇蹟を導いてくれる。
  • 啄木は「大といふ字を百あまり砂に書き」つけることにより死ぬことをやめてあらたな明日へ歩み出した。だからこそ、多くの人が啄木の歌に希望の光を見て力をもらい続けているのではないか。
  • 啄木が「一握の砂」という言葉に托して伝えたかったメッセージとは、どんな絶望の中にあっても、たった一粒のなみだを流す心さえ残っていれば、人は救われ、立ち上がり、生きていけるということではなかったのか。そういうメッセージが込められていたからこそ「一握の砂」というタイトルにこだわり、繰り返し使い続けたのではないだろうか。


(国際ミニ講演<I>につづく)