《関連イベントに参加しての私的レポート》
[チロリアンランプ]
国際啄木学会「2011年夏のセミナー」2011年7月3日(日)明治大学
<講演 -2>
- 「現代短歌の中の啄木」三枝※之(さいぐさたかゆき)氏(※は「昴」の「卯」の左側が「工」)
○ 飯田龍太『遅速』
なにはともあれ山に雨山は春
これは素晴らしい。春の近づいてきたことを特に雨で感じている。龍太の一句といえばこれをあげたい。晩年の龍太にインタビューをした。「これが一番好きな句だ」と言ったら、龍太は「あぁ、あれは俳句らしくない俳句だ」とこたえた。例えば、「山に雨なにはともあれ山は春」としたら何の面白味もない。五七五の定型をどこかで揺さぶらないと自分の春の感触が出てこない。
○ 森岡貞香『百乳文』
かならず人は身罷るかないま亡くも快活に妻をよびたてるこゑ
森岡さんにインタビューしたとき「五七五に当てはめてピッタリするのが嫌いですか」と聞いたら、「何を言っているの。ピッタリするためにどこか歪めることで自分なりのピッタリにする」とこたえた。
○ 穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
かなりいい歌。ピッタリ定型だが五七五を意識して読む人はいない。これは孤独の歌だとおもう。ハロー、ハロー、と呼びかけるが応えの返ってこないものに呼びかけている。昔と違う、今日の若者たちの孤独感を歌っている。
○ まとめ
定型を一直線に守るのではなく、一歩壊しながら守る。
(「講演」つづく)