《関連イベントに参加しての私的レポート》
国際啄木学会
「2011年夏のセミナー」
<講演-1>
- 演題 「現代短歌の中の啄木」
- 講師 三枝※之(さいぐさたかゆき)氏(※は「昴」の「卯」の左側が「工」)
[一] 定型表現の特徴を考える
「大震災3.11」からいろいろなものが変わった。短歌の世界では、「昨日の続きが今日で、今日の続きが明日ということを前提にしてきた表現」がどうもウソくさくなってきたという人が多い。
○ 長谷川櫂『震災歌集』
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを
長谷川櫂は俳句の世界では屈指のひとりだが、俳句では我慢できなかった。五七五におさまらないで、後の七七を付けずにいられなかった。七七があることで「ひとりひとりはかけがえのない人々だ」という自分の思いを強く表現できる。
あす散ると思ひもされぬ さくらかな(小屋哲郎 27歳)
自然の美しさに心を寄せることでこの世に生を受けていることへのいとおしみと世を去る未練がある。
皇国の弥栄祈り玉と散る心のうちぞたのしかりける(若杉潤一郎 24歳)
上の句で状態、下の句で心を表現しているが、24歳の青年の肉声は感じられない。定型の形式に吸収されて自分のデリケートな内面を殺している。
○ まとめ
五七五七七は心の表現として優れているが、内的な襞を出しにくい。この二面性が短歌にはある。
歌は人のこころを殺す 止みて降る知覧の雨がわれにささやく(三枝『上弦下弦』)
(「講演」つづく)