<評論> 啄木研究の今後のあり方をめぐって
(「りとむ」139号 2015年7月[りとむ短歌会発行])
池田功(明治大学大学院教授、国際啄木学会会長)
2012年が啄木没後100年であり、2016年が生誕130年となる。啄木は今も多くの人々の心の中に生き続けている。それは一体何故なのであろうか。そしてこれからはどのように研究され、受容されていくのであろうか。その可能性を含めて少し考察してみたいと思う。
◉現代にそのまま通じる魅力
- 三枝昂之氏は、「ある日のこと/室の障子をはりかへぬ/その日はそれにて心なごみき」のように、誰もが持っている「居場所のない(私)の心の漂流」を、「暮らしの中の心理劇」として表現しているところなど、「現代の私たち」にそのまま通じるところが啄木の魅力の一つであるとしている。
- ドナルド・キーン氏は、正岡子規と比較しながら、子規が近代人であるとしたら啄木は現代人であり、そこに魅力があることを指摘している。
- 両氏が指摘することは、「ローマ字日記」などの日記や書簡にも著しく、私はその臨場感あふれる書簡の感性をブログ感覚と名づけている。一般的に明治時代の書簡は型式に乗っ取った作法通りのものが多い中で、啄木のものはそれを打ち破って、相手の懐に飛び込みつつ赤裸々に自分を語っていく。ブログ感覚の面白さを内在した強い発進力がある。
◉国際啄木学会と今後の研究の可能性
- 啄木を国際的な視野で研究しようという国際啄木学会が1989年に創設された。私ごとで恐縮であるが、この4月より会長に選ばれた。会では年一回「研究年報」を発行している。テーマは多岐にわたっているが、意外に韻文の研究が少ない。啄木は『一握の砂』と『悲しき玩具』を中心とする短歌によって有名になっており、短歌研究は重要なことである。
- 啄木は詩歌だけでなく、散文も重要である。啄木自身は小説家になりたかったのである。日記と書簡も興味深い。さらに啄木晩年の社会との対し方も重要である。
- このように今日性を持ち合わせた啄木は、多岐にわたる研究テーマが存在する。今後、より一層研究が進むことを望んでやまない。
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