〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

テンやマルを駆使した啄木の短歌は 活字で読むことを前提に書かれたのだ……

サクラの絨毯

『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』

 山口 謠司 (著) 

昔はなかった日本独自の“てんまる"。
なくてもすんでいたのになぜ? 紆余曲折を経て採用することになった理由と歴史的背景を探る。

第一章 本の読み方と「てんまる」の関係

第二章 「てんまる」は、いつから始まったか

第三章 明治時代以降の「てんまる」

第四章 現代短歌の「てんまる」

  •  ところで和歌には、基本的に濁点・半濁点はもちろん、「てんまる」もつけません。
  • 九〇〇年頃に〈ひらがな〉が成立する段階で、日本語は「濁ったもの」を排除しようとしたからなのです。
  • ところが、近代、明治時代以降のリアリズム文学の台頭は、清濁併せ呑むことを良しとするようになりました。
  • その結果、伝統的な「和歌」から成長した「現代短歌」は、濁点、半濁点、てんまる、その他の記号も使って自由に書くことができるようになり、同時に五七五七七という定形でさえ守らなくてもいいということになったのです。
  • 歌人・川野里子さんは、このことを次のようにいっています。
    少し長いのですが、短歌における、「てんまる」の使用とも関わる、とても大切な転換点を記した文章なので、ここに引用したいと思います。


 明治三十三年の創刊以来、新しい詩歌の最も重要な誕生の場として認められていた『明星』も、赤字がかさみ、(与謝野=筆者補)晶子によって開花した華々しい浪漫主義の短歌の世界は、終わりを迎えようとしていました。
 啄木を含む牧水、北原白秋といった晶子の後裔たちは、「これからの短歌をどうしていけばいいのか」という大きな宿題を背負うことになりました。啄木は自分自身の礎になっているのは浪漫精神だけれども、晶子とは違う形でどう記していけばいいのか、いくつもの試みを行いました。彼は東京朝日新聞に連載したエッセイで時代の行方を嘆きつつ「私自身が現在に於て意のままに改め得るもの」は短歌くらいだと嘆きました。その例が『一握の砂』の三行書きや句読点を使った『悲しき玩具』ではないかと思います。
 それまでは一行で筆書き、朗唱していた和歌の流れが、活字印刷でテン・マルを使った短歌となった。朗唱を意識した和歌から、印刷されたものを黙読する短歌になりました。テンやマルを駆使した啄木の短歌は、活字で読むことを前提に書かれたのだと思います。(中略)当時は短歌に限らず、あらゆる世界で「近代化」は重要テーマでした。そのため、まずは表記の面でさまざまな試みが行われてきました。国文学者で歌人土岐善麿は明治四十三(一九一〇)年に、ローマ字綴りで三行書きの短歌を発表し、同じ年に啄木も三行書きの形式で処女歌集『一握の砂』を発表します。
 当時の歌人たちが本当にやりたかったのは、いまを生きる自分たちの心にかなった韻律や調べを表現することだったのではないでしょうか。
(雑誌『望星』)

 

『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』

 山口 謠司 (著) 

出版社 ‏ : PHP研究所 (2022/4/16)
発売日 ‏ : 2022/4/16 
税込価格 1,056円