〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

故郷を思うとき 啄木が懐かしんでいたのは……

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ルリヂシャ

「北の文学」80号 巻頭コラム

「ふるさとを脱ぐ」  くどうれいん

  • 「本当に岩手が好きだと思うなら、他県に出ても岩手が好きだと思うはずだよ。県内に居たらそれはわからない。今が出るときなんじゃないかなあ」と、不合格に肩を落とすわたしに高校三年時の学年長の教師はにこやかに言った。
  • 高校時代、文芸部の岩手県大会で賞をとりまくっていたわたしは完全に天狗になっていた。宮城県で一人暮らしをして、その天狗の鼻はあっけなく折れた。
  • ようやく自分の人生を自分の責任で進める決意ができたとも言えた。今まで勝手に背負わされていた気がしていた「ふるさと」から一歩引いて生活できるようになると、突然、石川啄木の歌が身に沁みるようになった。今までは単なる故郷賛歌だと思っていた短歌の「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ」と詠む啄木の悲劇ぶったその気持ちが自分に重なった。故郷を思うとき彼が懐かしんでいたのは景色そのものではなく、景色の遠くに浮かぶ、神童だと信じ込んでいた己の顔ではないか。
  • ふるさとが若者の重荷になってはいけない。ふるさとはいつでも脱ぎ捨てて良いショールのようなものだ。寂しくなったときまたいつでも羽織れるように、わたしは糸を紡ぎ続ける。(作家、盛岡市

 文芸誌「北の文学」第80号 岩手日報社