〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木の努力や葛藤を明らかに「時代閉塞の現状に宣戦する志─」<2(おわり)>


[ボダイジュ]


月刊「民主文学」2017年12月号
 特集 明治百五十年
石川啄木 ──時代閉塞の現状に宣戦する志──」<2(おわり)>

         池田 功


◦ 大逆事件と啄木とのかかわり

啄木の思想に決定的な影響を与えた大逆事件幸徳秋水事件)は、1910年5月25日に宮下太吉が逮捕されたことから公になる。6月1日には幸徳秋水が逮捕される。国家権力はこの事件を利用して社会主義者の一掃を企て、結果的に24人に死刑判決を下し、実際12人を執行した。
啄木はこの事件の全体像を捉えるために、「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象(1911年1月稿)を書き残した。この時は東京朝日新聞社に勤務していた。情報の最前線にいる、ジャーナリストとしての勘から敏感に反応したのである。大逆事件の裁判の弁護を担当した平出修弁護士と知り合いであったことから、多くの情報や資料を得て、事件の真相を知ることになる。
1月18日の24人死刑の裁判結果に、「日本はダメだ」と日記に記し、さらに26日には平出宅で「七千枚十七冊」の特別裁判記録書類を読んでいる。
さらにこのことは短歌にも詠まれた。

 つね日頃好みて言ひし革命の語をつゝしみて秋に入れりけり
 時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな

◦ 日韓併合への憐憫の情

大逆事件の短歌の中に、「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く」もあった。啄木はなぜこのような歌を詠むことができたのであろうか。それは啄木が「亡国」ということに敏感に反応を示すナショナリストであったということもあると思われる。(例えば「戦雲余禄」(1904年)、小説「葬列」(1906年)、「古酒新酒」(1906年)など)
このような亡国に対して敏感に反応し、その亡国になった人々に哀悼や憐憫を示すことのできる感覚が、「地図の上」の短歌を詠むことにつながったのである。

◦ 「時代閉塞の現状」に結実

そして、「時代閉塞の現状」が執筆されることになる。「時代閉塞」という言葉は啄木の造語であり、この評論から有名になったと思われる。

啄木は「強権と我々自身との関係」の現状認識を具体的に挙げていく。「女子は男子の奴隷として規定されている」「男子は徴兵検査に非常な危惧を感じている」「教育者になっても、文部省の規定に従った授業しかできず、もし規定以外の独創的な授業を行えば退職させられる」・・・。このような具体的な例を挙げることができるほどに、啄木は現実の社会を深く見ていたのであった。

◦ 敵の存在を意識し明日の考察を

「我々自身」の息詰まる生活状況や心理状況は、強権の勢力があまねく行き渡っているからであり、これが「時代閉塞の現状」であるとする。そしてこのような国家こそ「敵」であり、明確に打倒すべき相手とされる。
しかし、現実には強権があまねく行き渡りすぎてどうにもこうにもできないでいた。その吐息のような歌が詠まれている。

 新しき明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に
 嘘はなけれど── (『悲しき玩具』)

それではこの時代に何をするべきか、啄木はそれを真剣に考えた。その結果「時代進展の思想を今後我々が或はまた他の人かゞ唱へる時、それをすぐ受け入れることの出来るやうな青年を、百人でも二百人でも養って置く」(平出修宛、1911年1月22日)ことを目標に友人の土岐善麿(哀果)と一緒に「樹木と果実」の雑誌の計画をたてたが、啄木の慢性腹膜炎による入院と印刷所との折り合いがうまくゆかず、刊行されることはなかった。
しかし、啄木は死の直前まで新しき明日のために努力したのであった。


(いけだ・いさお 明治大学明治大学大学院教授、国際啄木学会会長)
 (月刊「民主文学」2017年12月号 日本民主主義文学会発行)


(おわり)