〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木が使ったカルタ 墨で百人一首を手書きした


[ウメ]


サライ
 石川啄木が子供らと遊んだ手書きのカルタ【文士の逸品No.04】

  • 天才歌人石川啄木に、日本一の代用教員を自負していた時期がある。明治39年(1906)から翌年にかけて、生まれ在所、岩手県渋民村の渋民尋常高等小学校で教鞭をとっていた数え21歳のころである。この前後、啄木は仲間や生徒たちとともに、よく歌留多あそびに興じた。
  • 啄木が使った歌留多は、岩手県盛岡市の啄木記念館にある。桐の薄板に一枚一枚、墨で百人一首を手書きした札。一部が散逸し、その数56枚。
  • 歌人・啄木の業績は、旧来の形式の打破にあった。でいながら万葉の歌にも通じる心地よい「しらべ」は、この歌留多あそびで培われたものなのか。(文/矢島裕紀彦)

(2018-02-13 サライjp)


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