〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木と樹人は二人で夕焼けを見た・・・のではないか


[イノコヅチ]


「ざっくばらんに」 [北鹿新聞]
 啄木と鹿角、深い縁 樹人と交遊の証言も
   「啄木と樹人」コンサート実行委事務局 村木哲文さん

鹿角に縁のある石川啄木と「おもちゃのマーチ」などの作曲で知られる鹿角市出身の小田島樹人にスポットを当てたコンサートが9日、鹿角市毛馬内の寺院「常照寺」で開かれる(新聞は10月6日付)。実行委員会事務局長の村木哲文さんに、目的や開催までの経緯を聞いた。

  • コンサートを開くことになった経緯
    • 啄木の母方の曾祖母熊谷ヱイは、毛馬内の常照寺の生まれです。啄木が母のように慕った姉サダは小坂鉱山の長屋で31歳で亡くなっています。樹人が啄木と交遊のあったことは分かっています。地域の歴史を掘り起こし、啄木と鹿角の深い縁を市民の皆さんに知ってほしい、というのが目的です。
  • 啄木と樹人の交遊に注目したのはなぜ
    • 啄木が鹿角に来たかどうかについては、大論争があります。最近の学説では、鹿角、十和田湖を訪れた可能性が高くなっています。当時、一人で十和田湖に来ることは無理で、誰かが案内をしたはずです。その案内を樹人がしたのではないか、と考えたのです。あくまで私の推論ですが。
  • 推論の根拠は
    • 樹人の作曲に「山は夕焼」があります八幡平曙地区の夕暮れをイメージしたといわれてます。作詞は「背くらべ」で知られ、28歳で亡くなった薄幸の詩人海野厚。二人は俳句仲間で、結核で亡くなる海野に対する嘆き悲しみから作曲したと思われます。
    • 啄木の詩の中で、八幡平・大日堂の描写に日暮れ時が出てきます。仮に、樹人が案内したのであれば、二人で夕焼けを見たのではないでしょうか。
  • コンサート会場を常照寺にしたのは
    • コンサートでナレーション担当の伊藤八重子さんから、歌で熊谷ヱイさんと啄木を供養したいという話がありました。常照寺は啄木と鹿角の関係の原点。この原点で供養しながらコンサートをやろうと実行委員会を組織し毛馬内の方々が動いてくれました。前売り券は一カ月前に完売、地元の人たちにとっては、地域を知るきっかけになったと思います。私はあくまでその橋渡し役です。

(2017-10-06 北鹿新聞)