〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「むさぼり読んだ石川啄木に支えられた」 自分史

私の戦争、刻む一冊 朝日自分史

朝日自分史で戦争の記録を残す人は多い。共通するのは「戦争の悲惨さやつらさを伝えたい。二度と戦争をしてはいけない」という平和への願いだろう。

防空壕で出会った啄木、心の糧に 小林ミチさん

  • 「日本軍が真珠湾を攻撃し、戦争が始まりました。これからは先生の言うことをよく聞いてください」。大阪府枚方市の小林ミチさん(83)は、1941年12月8日、約2千人の生徒への校長先生の言葉を聞いた。
  • 1945年、呉服雑貨店を営む両親や兄妹らと住む兵庫県西宮市が、繰り返し爆撃を受けた。小林さんは、バリバリドシャンと家が焼け落ちる音を聞きながら逃げた。そんな中で、庭の防空壕の兄の本箱にあった石川啄木の歌集に出会った。
  • 8月6日未明の爆撃で自宅も失い、兄と妹と3人で疎開した。玉音放送は伯母夫婦が住む家の庭で、雑音混じりのラジオで聞いた。親類の家での生活は過酷で、慣れない水くみや農作業を手伝った。地元の子どもたちにいじめられもした。
  • 戦後は結婚し、夫と電話加入権販売や不動産業などを営んだ。戦争中も戦後も、むさぼり読んだ石川啄木に支えられた。なにより啄木の病気や金銭的な苦労にもへこたれなかった姿に引かれ、励まされてきた。感謝の思いを込めて、自分史を「遠き道 歩み来て 〜啄木の歌を心の糧に〜」というタイトルにした。小林さんは「戦争体験を語る人が少なくなり、平和な時代が続くことを祈るばかりです」と話す。(合志太士)

(2017-01-10 朝日新聞記事