〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

書評『石川啄木』=ドナルド・キーン

◯今週の本棚
 小島ゆかり・評 『石川啄木』=ドナルド・キーン(新潮社・2376円)


芸術は不道徳の非難を恐れぬこと

  • 評伝である本書の進行に沿って石川啄木の生涯を追体験するうち、いつのまにか啄木の生きた時間の奥深くへ入り込むような錯覚を覚える。
  • 啄木の成績が極めて優れていたので、級友たちは啄木を「天才」と呼び、この呼称は生涯啄木に付いて回った。啄木自身、時には自分を天才たちの仲間に加えることがあった。しかし神童に約束された輝かしい未来と、自分が現に送っている悲惨な生活との極端な違いに、啄木は次第に気づくようになった。(「反逆者啄木」)
  • 啄木の遺(のこ)した数多くの詩歌、日記、批評、小説、手紙などの中でも、著者はとりわけ『ローマ字日記』に注目している。日記に初めてローマ字が登場するのは明治四十二年四月三日。北原白秋の詩集『邪宗門』について記され、三日後には、一段と向上した感動的な表現で、『邪宗門』を称賛している。ローマ字採用の理由を探りつつ、『邪宗門』からオスカー・ワイルドへと、スリリングに著者の思いはめぐる。すなわち芸術の斬新な様式は、理解し難く、不道徳という非難を恐れないことだと。
  • 『ローマ字日記』を読んでいて我々が感じるのは、おそらくその描かれた真実に対する称賛の気持と、数々の失敗を重ねながらも親近感を覚えてしまう一人の男に対する愛着である。その男が陥った窮境は、時代や不運のせいというよりは自分の身勝手が原因であったかもしれない。しかし最終的に我々は、それがたぶん天才である一人の詩人に不可避のものとして、その身勝手さを受け入れる。おそらく啄木は、自分がすでに傑作『ローマ字日記』を書いていることに気づいていなかった。(「ローマ字日記」)
  • この慧眼(けいがん)の研究者の存在は、啄木にとってまことに幸運なことだった。(角地幸男訳)

(2016-06-05 毎日新聞

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