〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

雑誌『明星』に 白秋や啄木らが作品を寄せた


[敷石]


○今週の本棚
川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900-1927』=山田登世子

「日本語の近代」語る熱い著者の筆

  • 近代日本の文学者の多くは西洋、とりわけフランスへ憧れた。
  • 永井荷風は「嗚呼(ああ)わが仏蘭西(フランス)。自分はどうかして仏蘭西の地を踏みたいばかりに此(こ)れまで生きていたのである」(「巴里(パリ)のわかれ」)萩原朔太郎が大正のはじめに「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」(「旅上」)と歌ったのはよく知られている。島崎藤村は大正時代にパリに行ったし、昭和のはじめ林芙美子は『放浪記』がベストセラーになると飛ぶようにパリに出かけた。
  • 本書は、フランスへ熱い思いを抱き続けた文学者たちを辿(たど)っている。「フランスかぶれ」を軸にした近代文学史になっていて面白い。
  • 語られる文学者は、与謝野鉄幹(のち寛)と晶子、北原白秋石川啄木永井荷風島崎藤村堀口大学ら。大杉栄に一章割かれているのは異色(文学者として評価している)。
  • 「フランスかぶれ」に大きな役割を果たしたのは明治三十三年(一九〇〇)に鉄幹と晶子を中心に創刊された雑誌『明星』だと、著者はいう。短歌だけではなく詩、そして翻訳を載せた『明星』は、当時としてはきわめてハイカラな雑誌だった。表紙を藤島武二アール・ヌーヴォーの絵が飾った。フランスの香りがした。白秋や啄木らが作品を寄せた。
  • なぜフランスだったのか。まず何よりもフランスが芸術を大事にする国だったからだろう。明治の日本は、富国強兵、殖産興業が謳(うた)われ、芸術文化よりも実学が優先された。だからこそ、芸術の国フランスが、芸術の都パリが、文学者たちの憧れになっていった。(藤原書店・2592円)

(2015-12-06 毎日新聞>東京朝刊)

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