[サンシュユ]
風土計 -岩手日報- 2014-12-06
- 石川啄木は釧路新聞社勤務の1908(明治41)年、競合紙と合同の創作劇に出演した。当日の稽古のみで二役こなしたが、「上出来であった」と日記に書く。
- 啄木はその以前、東京での芝居に端役で出演したことがある。明治半ばに始まった作家らによる文士劇が流行していたのだ。昭和に入ってからは大手出版社主催の文士劇が人気を博し、売れっ子が続々と登場。しかし、三十数年前に幕を閉じた。
- 今、そんな系譜を受け継ぐ存在が盛岡文士劇だ。戦後、歳末助け合い運動の一環として始められ13回公演した。その後、迷演技も楽しいあの空間をもう一度−の声が出て95年に復活。きょうからの公演でついに20回に達する。
- 盛岡は昔から芸事の盛んな街だった。それが、早くから劇場を造り、舞台活動を活発化させる土壌となった。文士劇はそのような文化の薫りの中にある。
(2014-12-06 岩手日報)
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