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『啄木の親友 小林茂雄』を読む -「啄木の息」管理者
「はじめに」より
茂雄の人生にとっての啄木の存在とは、そして啄木との交友を青春時代の思い出として抱き続けた茂雄の人生とは、筆者は、その問いを胸に抱きながらペンをすすめた。
- 一人のひと。著者は、盛岡中学において啄木の一級下であった小林茂雄の人生をずっと追い続け、「その対象となる人物が遺したものと現代との関わりは何か」を考え続け、調べ続けていきます。
- <回想「啄木を偲ぶ」>の中でこころに響いた言葉がありました。茂雄は、啄木をこのように語っています。
(啄木の短い生涯を惜しむ人もいるが)
「啄木はあれで善かつたのだ、あれで充分であつたのではないかと申し度いのであります。何故となれば彼の歌には次の様なのがあります。
先んじて恋のあまさとかなしさを
知りし我なり先んじて老ゆ
(中略)
普通人が百年かかつても出来ない仕事を短生涯の中で終らしたものと言つてよいでせう。」
大きすぎず、小さすぎず、ありのままの啄木を肯定し偲んでいる茂雄の温かい目が感じられました。
- <啄木の日記に表れた茂雄>の中では、啄木を読むときの具体的な方法が書かれていました。
「日記そのものを通して読むのも、啄木の息吹が伝わってくるようで勿論おもしろいが、手紙や短歌、詩などの作品と併せ読むことも、日記の記述が立体的に迫ってきたり、幅や深みが広がりそのおもしろさが増す」。
- 興味深かった事は、「これまでの啄木研究では言及されていなかった問題について考察を行った部分」でした。
「おどけし歌」はフィクションの可能性があり、啄木自身の歌であった可能性があるということ。これまで、啄木日記に登場する茂雄は「23回」とされてきたが、「47回」あったということ。東北大学は「秋入学」であったこと。など、など。
- 茂雄の二女、そのご子息などと著者との対談では、日常を生きる茂雄に触れていました。「メモ魔」であったことや、新聞を大切にしていたため、家にはものすごい量の新聞とスクラップブックがあったこと。五紙もとっていたのに、学校で新聞紙が必要なときは「隣近所に頭を下げて新聞を貰って来なければならなかった」というエピソードなどに、茂雄とその家族の様子がユーモアも含めて伝わってきました。
- 近眼にて
おどけし歌をよみ出でし
茂雄の恋もかなしかりしか 石川啄木 『一握の砂』
本を読んだ後でこの歌に戻ると、また、違った景色が見えてきました。
- 小林茂雄を通して、深く新しい啄木に会いにいきませんか。
『啄木の親友 小林茂雄』森 義真 著
- 盛岡出版コミュニティー
- 2100円 2012年11月発行