[啄木歌碑 JR 船岡駅ホーム」]
第 19 回
第二部 漂泊の旅路(3)
JR 船岡駅(宮城県柴田町)
良き文学仲間が支援
- 啄木にとっての函館は、知人が一人もいない土地だった。そこで温かく迎えたのは、文学結社「苜蓿社」(ぼくしゅくしゃ)の同人たち。毎晩のように文学や恋愛を語り合うだけでなく、仕事を世話したり、住まいを見つけて生活の場を整えた。
汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも
- 駅舎内には啄木と船岡の関わりを紹介する展示コーナーがある。白村の三男が母親から聞いた函館時代の思い出をつづった手紙には、啄木が娘の京子を連れて白村親子らと大森浜で遊んだことなどが書かれている。
(2012-08-08 岩手日報)
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第20 回
第二部 漂泊の旅路(4)
大通公園(札幌市)
美しき街に心引かれ
- 1907(明治40)年 9月 13日。啄木が降り立った北の街は、秋の気配に包まれていた。函館大火の翌月、啄木は北門新報社の校正係として働くため、札幌にやって来た。
- 啄木は入社翌日から「北門歌壇」を設け、札幌の印象をまとめた「秋風記」を書くなど校正係を超える精力的な仕事ぶりを見せた。「秋風記」の一部とともに啄木の歌を刻んだ碑は 1981年、大通公園の一角に建てられた。
しんとして幅広き街の/秋の夜の/玉蜀黍の焼くるにほひよ
- 啄木没後 100年の今年、札幌で四つ目の歌碑が 9月 15日にできる。 建碑の中心となっているのは、札幌啄木会代表の太田幸夫さん。ポプラの木をイメージした形の石に「アカシヤの街樾(なみき)にポプラに/秋の風/吹くがかなしと日記に残れり」の歌を刻む。(学芸部 小山田泰裕)
(2012-08-15 岩手日報)