第 17 回
第二部 漂泊の旅路(1)
合浦公園(青森市)
北への船旅 家族思う
○ 一家離散し、津軽海峡を越えて北海道に渡った啄木。新天地を求めて函館から札幌、小樽、釧路へと北の大地を駆け抜けた1年は、後の作品に大きな影響を与えた。
- 啄木が妹光子を伴い北へ旅立ったのは1907(明治40)年。家財道具を質入れし、懐には9円70銭。これが二人の旅費だった。
船に酔ひてやさしくなれる/いもうとの眼見ゆ/津軽の海を思へば
- 青森湾に面した青森市の合浦(がっぽ)公園に歌碑ができたのは、啄木が津軽海峡を渡って半世紀後の1956年。波打ち際に近い場所にある大きな碑には、歌に登場する妹光子の筆による堂々とした文字。除幕式にも神戸から参列した。
(2012-07-25 岩手日報)
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第18 回
第二部 漂泊の旅路(2)
函館公園(函館市)
生活と文学の新天地
- 1907(明治40)年5月5日。船で北海道に渡った啄木は、函館の鉄道桟橋に降り立った。啄木を迎えたのは文学結社「苜蓿社」(ぼくしゅくしゃ)の同人たち。啄木は松岡蕗堂の下宿に身を寄せた。
- 弥生尋常小学校の代用教員になった啄木は、青柳町に長屋を借り、盛岡から妻節子と長女京子を呼び寄せた。初めての親子三人の暮らしは幸せな時間となっただろう。この家はやがて同人たちが集う場所になった。
函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花
(2012-08-01 岩手日報)