アナクロですが 玉木研二
<その96>今夏、ほんの少し啄木を
- 歌人石川啄木(1886-1912年)が初めて東京で下宿した所、そして転々として終焉を迎えた地が、文京区の音羽から小石川にかけての丘陵地にある。こんな時代だからというわけではないが、行ってみたくなった。
- 地下鉄有楽町線江戸川橋駅で降り、音羽通りを少し上がって目白坂下交差点を右折。急な八幡坂沿いに「石川啄木初の上京下宿跡」の案内プレートがある(文京区音羽1-6-1辺り)。 当時は眺望がかなりきいたらしい。
- その坂を上がりきって、静かな住宅街を抜け、丘陵の尾根に当たる春日通りに出る。小石川5丁目交差点、桜並木で有名な播磨坂からちょっと入った所に、啄木が26歳の若さで病没した「石川啄木終焉の地」のプレートがビルに掲示されている(文京区小石川5-11-7)。
- 有名な一首。
<いたく錆びしピストル出でぬ/砂山の/砂を指もて掘りてありしに>
ちなみに後世に石原裕次郎主演映画「錆びたナイフ」の主題歌のモチーフになったともいわれる作品だ。社会矛盾への怒り、生きる苦悩、新しい表現の希求などがないまぜになった明治青年。ふつふつとわき起こり、行動に迷う思いがこめられていないだろうか。
- 東日本大震災は啄木の次の一首を呼び起こした。
<やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに>
- 啄木は父が僧職で、岩手県渋民村(現盛岡市)の寺に育ち、盛岡中学に在学中から詩人の才能を現す。東京のほか北海道など転々とし、若くして結婚するが、生活は不安定で窮乏した。当時の社会主義思潮にも影響を受けた。元居住地というのは東京都心に何カ所もあるそうだ。秋にまた歩いてみたい。(玉木研二 専門編集委員)
(2011-08-04 毎日新聞>楽コレ!)