〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉40 望月善次
アカシヤの蔭
或る夏の日のたそがれ、私は一日中漂っていた小舟をアカシアの香りのする淀みにとめ、その岸に上りました。桜咲く朧月夜のもと、恋とアカシアとの類似性などを考えたのですが、同時に、この短い夢のような時間が、霊の住み家の証明でもあれと祈ったのでした。
アカシヤの蔭〔七四五調〕
たそがれ淡き搖曳(さまよひ)やはらかに、
收(をさ)まる光暫しの名殘なる
透影(すいかげ)投げし碧(みどり)の淵(ふち)の上、
我ただひとり一日(ひとひ)を漂へる
小舟(をぶね)を寄せて、アカシヤ夏の香の
木蔭(こかげ)に櫂(かひ)をとどめて休(やす)らひぬ。
流れて涯(はて)も知らざる大川(おほかは)の
暫しと淀(よど)む翠江(みどりえ)夢の淵!
見えざる靈の海原花岸の
ふる(さと)とめて、生命(いのち)の大川に
ひねもす浮びただよふ夢の我!
夢こそ暫し宿れるこの岸に
ああ夢ならぬ香りのアカシヤや。
(甲辰六月十七日)
〔現代語訳〕アカシヤの蔭
たそがれの、淡い揺らぎも柔らかに、
収まる光の、暫らくの間の名残として
透き通る影を投げた碧色の淵の上、
私は、只一人、一日を漂っておりました
小さな舟を寄せて、アカシヤの夏の香りのする
木蔭に櫂を止めて休息したのです。
流れて行く終わりも分からない涯大川が
暫くの間と淀をなす、翠の川の江夢の淵よ!
見えない霊が、海へと注ぐ花のような岸辺の
生まれ育った所を求めて、生命の大川に
一日中、浮び漂うような夢見る心地の私よ!
夢こそが、暫くの間宿る、この岸に
ああ、夢ではない香りを放つアカシヤがあるのです。
(明治三十七年六月十七日)
(2011-01-13 盛岡タイムス)