【シシウド】
「石川啄木とプレカリアート」近藤典彦
---歌にこめられた社会主義の選択---
- 啄木ゆかりの北海道函館市で9月5日、6日、国際啄木学会創立20周年記念の大会が開催される。テーマは「未来への架橋---啄木との対話」。このテーマを眺めているうちにプレカリアート(注)の問題においても、啄木の作品と思想は鮮烈に現代的でありかつ示唆に富むことを考えさせられた。
(注:1990年代以後に急増した不安定な雇用・労働状況における非正規雇用労働者や失業者の総称)
- 今から100年前の1910年(明治43年)7月15日、啄木はつぎの3首を作り、歌稿ノートに書きつけた。
夏の町かしらあらはに過ぎ去れるあとなし人をふりかへる哉
垢づける首うち低れて道ばたの石に腰かけし男もあるかな
[ルビ:低れて=たれて]
かゝること喜ぶべきか泣くべきか貧しき人の上のみ思ふ
- 1首目と2首目は今で言う「ホームレス」をうたっている。啄木は同情に満ちた目でかれらを見ている。
- 3首目の「貧しき人」はホームレスの人たちだけを指すのではない。啄木はこれらの歌を作るまでの約1カ月間集中的に社会主義・無政府主義を研究した。5月末に発覚した大逆事件によって衝撃を受けたからだ。かれの思想家としての天才はわずか1カ月の研究でマルクス・エンゲルスの社会主義を選びとった。
- 啄木はマルクスやエンゲルスや秋水の説を踏まえて3首目の歌を作ったのである。したがって有名な次の歌も決して自分一人のことをうたっているのではない。自分の生活実感を通して幾百万千万の働く人々の生活実感と重ねてうたったのだ。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
[ルビ:猶=なほ、生活=くらし]
- 啄木がプレカリアートの明日に向けて呼びかけるとしたら、どんな言葉を発するだろう。
- 答えのカギは評論「時代閉塞の現状」の中にあると思うが、紙幅は尽きた。
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- こんどう・のりひこ 国際啄木学会理事。元群馬大学教授。
(2009-09-01 しんぶん赤旗>文化 学問)