野の花 深沢紅子の生涯
- 紅子が学んだ私立女子美術学校(現女子美術大学)の校舎は、東京市本郷区菊坂町の本妙寺の境内にあり、寺をはさんで同校と同じ本妙寺坂に面した境内には、下宿業を営む赤心館があり、金田一京助が住んでいた。
- 1907年4月29日、ふろしき包みひとつ抱えた歌人の石川啄木が訪れた。
- 金田一は、故郷の後輩のため、2階の6畳間を借り、啄木が執筆に専念できるよう下宿代などを負担することにした。
- 啄木の生前唯一の歌集となった「一握の砂」の大半が赤心館で生まれたのである。
(2006-12-16 asahi,comマイタウン>岩手)