〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

平出に出会うきっかけは啄木だった -塩浦彰


[オオデマリ]


「法と文学 ふたすじの道」
  大逆事件弁護人の平出修、没後100年の企画開催
   塩浦 彰 (元高校教諭)

  • 私の故郷である新潟出身の歌人・評論家に、今年で没後百年を迎えた平出修(ひらいでしゅう)(1878〜1914年)がいる。明治の中ごろから与謝野鉄幹・晶子夫妻の雑誌「明星」に作品を発表。当時の短歌革新運動の中核を担った。
  • 平出は法律家としても大きな仕事をなしている。天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水無政府主義者社会主義者が検挙、処刑された大逆事件(1910年)の被告弁護人を務め、法の下の平等言論の自由を強く主張する弁論を法廷で展開した。
  • 私は新潟で長らく高校教師をしながら、平出と同時代の文学者の研究に携わってきた。石川啄木とその妻節子らの生涯を追う中で、ずっと心を離れなかったのが平出だった。文学と法律。一見まったく違う2つの世界を35年の生涯でどう駆け抜けたのか。
  • 平出に出会うきっかけは石川啄木だった。東京の大学を卒業して郷里に戻った私は小説家になる夢を30代であきらめ、代わりに10代からあこがれていた啄木をもっと深く知ろうと思った。当時、啄木の研究会に顔を出すと、研究者の方々から「塩浦さんは新潟出身? じゃあ平出修をぜひ調べて下さい」と何度も言葉をかけられた。
  • 平出と啄木の縁は深い。「明星」廃刊後に2人は文芸誌「スバル」を発行。大逆事件に関心を寄せていた啄木は平出から裁判関連資料を見せてもらい、大きな影響を受け、その社会思想を知る上で欠かせない評論や記録を書きあげた。
  • 没後百年の今年は様々な企画を予定している。平出が生まれた新潟市東区では講演会を開催中。9月には大逆事件に詳しい作家の辻原登さんらを招き、東京・日比谷でも記念講演会を開く。
  • 念願の伝記は今年中に完成させたい。

(2014年5月9日 日経新聞>文化)
 

<出版>記念館長「啄木」を出版 岩手ゆかりの70人以上紹介 /岩手

  • 石川啄木記念館館長で近代文学研究家の森義真さんが「啄木 ふるさと人(びと)との交わり」を出版した。野村胡堂金田一京助ら、啄木を巡る岩手ゆかりの70人以上を取り上げ、啄木の人物像などを浮かび上がらせた。
  • 「意志の強固な天才にベートーベンがあり、意志の弱い天才に石川啄木がある」と記したのは友人で作家の野村胡堂。詩集刊行を援助した小田島尚三では「私は啄木から一ぺんもありがとうと言われたことはなかった」を取り上げた。
  • 森さんは「墓まで訪ねてこそ、その人が分かる」との持論から、各人をそれぞれの墓の紹介で締めくくった。
  • 問い合わせは盛岡出版コミュニティー(電 019-651-3033) 1,728円【手塚さや香

(2014-05-08 gooニュース>毎日新聞
 

啄木は気になる存在「風土計」-岩手日報-

  • 「花冷え」とは、桜が咲くころ寒さが戻ることをいう。今年の県内は咲くのが早めで、散った後に寒さが戻った。北海道には初夏の時季の「リラ冷え」がある。渡辺淳一さんの小説「リラ冷えの街」により定着した。故郷にそんな時季が近づくころ、渡辺さんが別れを告げた。
  • 「一夜あけると、蒼(あお)かった海は、白い氷の海に変貌している」(「流氷への旅」)。「雪の溶ける音以外、あたりには音はなにもなかった」(「阿寒に果つ」)。描写に引かれ「渡辺文学の旅」に出た人もいることだろう。
  • 短歌を作った高校時代から石川啄木が気になる存在といい、2年前の講演でも啄木の歌をいくつもそらんじた。北の地が育んだ感性に通じ合うものがあったのかもしれない。

(2014-05-10 岩手日報