〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

どれだけ勉強しても 少年は空高く飛ぶ飛行機になることはできない 啄木の詩「飛行機」

ワタ

なぜ働いていると本が読めなくなるのか 第3回

大正時代の読書と労働―「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級

   三宅香帆

1.大正時代の社会不安と宗教・内省ブーム

2.大正時代、辛いサラリーマンの誕生

3.教養の誕生と修養との分離

●田舎の独学ブーム飛行機

  • 実は明治中後期、働いて学資を得る苦学や、通信教育による独学がブームになっていた。貧しい家庭で育った彼らは「なんとか自分で勉強して、都会に行って出世するぞ」というモチベーションで勉強し、立身出世を夢見ていたのである。しかし彼らの多くは、学費という壁に阻まれた。
  • 下に引用する石川啄木の詩は、まさに1911年、明治から大正に移ろうとする最中に書かれたものである。

    飛行機
     
    見よ、今日も、かの蒼空に
    飛行機の高く飛べるを。
     
    給仕づとめの少年が
    たまに非番の日曜日、
    肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
    ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……
     
    見よ、今日も、かの蒼空に
    飛行機の高く飛べるを。

  • 「リイダアの獨學」とは、英語の勉強を独学でおこなおうとしている姿を指している。その目の疲れと、高く飛ぶ飛行機。どれだけ勉強しても、おそらく少年は空高く飛ぶ飛行機になることはできない。高く飛んで行こうとする日本全体の国の勢いの一方で、貧困にあえぐ若者たちは絶えることはなかった。明治末期の労働者階級の読書の在り方を端的に示した詩である。

(2023-02-13 集英社新書プラス)

 

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