〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

-短歌界の革命児- 啄木はどうやってその歌境にたどり着いたのか

ブラッククローバー

まっぷるトラベルガイド編集部

石川啄木の生涯~日記のように短歌を詠む短歌界の革命児~

実生活に根差した等身大の短歌で知られる石川啄木
岩手で生まれ育った彼は、どのようにしてその歌境にたどり着いたのでしょうか。

石川啄木の生い立ち

「はたらけど/はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」――こんな短歌を聞いたことがないでしょうか。
これは、明治時代の歌人石川啄木(いしかわたくぼく)による作品です。
石川啄木(本名・石川一(はじめ))は、1886(明治19)年に南岩手郡日戸村(現・岩手県盛岡市日戸)で生まれました。父は寺の住職でした。
早熟であったため神童ともてはやされ、また4人きょうだいのなかで唯一の男子だった石川啄木は、両親の愛情を一身に受けて育ちました。

石川啄木の盛岡中学校在学時代

石川啄木が文学に関心をもったのは、盛岡中学校在学時です。当時の盛岡中学校には、のちに言語学者となる金田一京助(きんだいちきょうすけ)など文学を愛する生徒が多く、石川啄木もその影響を受けて与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)らの詩歌に触れ、自らも短歌の創作をするようになります。

石川啄木の挫折

1902(明治35)年、17歳で単身上京。望を胸に東京へやってきた石川啄木でしたが、現実は厳しかったのです。英語の翻訳で生活費を稼ぐ計画は実現せず、さらには病気になってしまいます。そして、1903(明治36)年に早くも帰郷することとなります。

石川啄木の結婚と一家離散

石川啄木の成功と27年の生涯

石川啄木ゆかりの地と歌碑

(2022-06-02 まっぷるトラベルガイド)

 

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