〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <4>-おわり-

啄木文学散歩・もくじ


 4 「石川啄木 終焉の地」2016年暮れの様子


<動画 90秒>

歌碑と顕彰室のある「石川啄木 終焉の地」
  (近隣の工事の音が入っています。音声はありません)

 *グループホーム「いつつ星」1階の一部が「石川啄木顕彰室」

 *その隣りにある「石川啄木終焉の地歌碑」

 *そのまた隣りの「終焉の地」にある白いビルと東京都の説明板








啄木終焉の地に建つビル入口と「石川啄木終焉の地」の説明板

  • 石川啄木に家を貸していた宇津木家の方々は、その場所に住んでおり「啄木を近い人だと感じることがある」と話している。
  • 第2次世界大戦で啄木が住んでいた家は、空襲で焼失した。旧居跡は1952年に都旧跡に指定され、1969年には記念の石碑が建てられた。

(2010-04-13 岩手日報





2008年(平成20)12月に設置された説明板


  東京都指定旧跡
   石川啄木終焉の地
    所在地 文京区小石川5丁目11番7号
    指定  昭和27年11月3日


石川啄木明治19年(1886)2月20日(または18年10月27日)、岩手県岩手郡日戸村(現 盛岡市玉山区日戸)の常光寺で生まれた。本名を一(はじめ)という。
盛岡中学校入学後、『明星』を愛読し、文学を志した。生活のため、故郷で小学校代用教員となり、のち北海道に渡り地方新聞社の記者となったが、作家を志望して上京、朝日新聞社に勤務しながら創作活動を行った。歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』、詩集『あこがれ』・『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』などを著した。
啄木は、明治44年(1911)8月7日、本郷弓町の喜之床(きのとこ)(現 文京区本郷2丁目38)の二階からこの地の借家(当時の小石川区久堅町74番46号)に移り、翌年病没するまで居住した。
この地に移った啄木は、既に病魔に侵されていた。明治45年4月13日午前9時30分、父一禎(いってい)、妻節子、友人の若山牧水に看取られながら、結核により26歳の若さで亡くなった。法名は啄木居士。
   平成20年12月  設置
            東京都教育委員会





マップ「文京区に残る啄木の足跡」

文の京 お散歩ブック「石川啄木〜愛に支えられた生涯〜」 地図ページ
 

  • 喜之床跡 本郷区弓町の理髪店2階。啄木と妻子と母と約2年間暮らす。
  • 石川啄木終焉の地 発熱と生活の不安に苛まれ、体調悪化。この地で死去。

ほかに、蓋平館別荘跡・赤心館跡・初上京下宿跡 など




石川啄木終焉の地 歌碑・顕彰室

  • 顕彰室開室時間 午前9時 〜午後5時(年末年始、特別閉室時を除く)
  • 無料
  • 所在地 東京都文京区小石川5-11-8 珠泉会館1階
  • アクセス 東京メトロ丸ノ内線茗荷谷」駅より徒歩7分

※文京区コミュニティバス「Bーぐる(目白台・小日向ルート)」をご利用の場合、「27番:第一中学校」「28番:播磨坂」徒歩3分。


(おわり)