〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

まだ上州の山は見えずや・朔太郎 ふるさとの山はありがたきかな・啄木 


[オトコエシ]


[国語逍遥(75)]
忘れ得ぬ山 「歌枕」として愛するのかも 清湖口敏

  • 萩原朔太郎晩年の詩集『氷島(ひょうとう)』に「帰郷」と題する一編がある。前書きに「昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る」と記されたとおり、失意のなかで2人の娘を連れて東京からの夜汽車に乗り、故郷の群馬へと向かう。
  • 「わが故郷に帰れる日/汽車は烈風の中を突き行けり。/ひとり車窓に目醒(めざ)むれば/汽笛は闇に吠(ほ)え叫び/火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。」
  • 故郷を捨てたはずの彼はしかし、詩をこのように続けたのである「まだ上州の山は見えずや。」望郷の思いが突き上げてきたのだろうか。私にはこの詩句が慟哭(どうこく)のように聞こえてしかたがない。
  • 朔太郎の「故郷の山」が上州の山なら、「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ石川啄木のそれは、生まれ育った岩手・渋民から望む岩手山だったろう。
  • このように「故郷の山」を胸に抱き続けるのは、もちろん彼ら詩人の特権でも何でもなく、多くの日本人にごく普通にみられることである。

(2016-08-17 産経ニュース)