〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

世界に向け現代の啄木情報発信を 釧路


[オリーブ]


日本の寂れた地方都市よ、
“インバウンド町おこし”で再び賑わいを
  莫 邦富 [作家・ジャーナリスト]

  • 講演など仕事の関係で日本各地によく行く。地方を訪問する頻度は低くないと思うのだが、一度訪れた地方都市を再度訪問するまでに、たいていかなり時間がかかってしまう。
  • 今週、訪れた北海道の釧路も例外ではない。前回は冬ということもあり、市内をあまり回らなかった。そのため、今回は3時間近くもかけて市街区を貫く主要通りの北大通りと南大通りを軸にして、市内をぶらぶらと歩き回っていた。啄木通りとも呼ばれる南大通りに一歩入ると、否応なく明治時代の歌人・詩人である石川啄木の存在感の大きさに圧倒された。
  • 歩行道の路面に何かがはめ込まれているのに気付き、覗いてみたら、啄木の歌を書いたタイルだった。旗のようなものが電柱にぶら下がっているのが遠くから見えてきたが、近づいて見たら、なんとその旗の片面に「啄木通り」と書かれている。裏側には、啄木の歌がプリントしてある。
  • 啄木来釧の日を記念する場所もあれば、釧路を発った時の場所も大事に宣伝している。わずか76日間しか滞在していなかった詩人とこんなに密接に結ばれている地方都市は、日本広しといえども、そうたくさんあるはずはない、と思った。
  • 地面のタイルに彫られている啄木の歌は、明治41年(1908年)1月21日の夜9時半、釧路駅に降り立った啄木が寂しい駅前の情景を見て詠んだものだ。

 「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」。

  • 日本文学を学んだことのない外国人に、これらの歌を理解することを求めるにはかなりの無理が生じる。その意味では、釧路の町は今日の啄木を求めていると理解していいだろう。
  • 海外から作家やシナリオライターまたはブロガーなどに釧路に来てもらって、実の生活を通して釧路の魅力を海外へ情報発信したら、外国人観光客の誘致につながっていくと思う。
  • インターネット時代の今日、時間の流れも明治時代と違ってかなりスピードを上げた。啄木のように76日間滞在しなくても、10日間か2週間くらい時間をかけて取材すれば、かなりの情報を集められ、発信できるはずだ。最果ての駅も町も寂しさに勝つ賑わいを取り戻すべきだ。インバウンド事業はその救いの星になるかもしれない。

(2015-05-28 ダイヤモンドオンライン)

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