〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木と杉村楚人冠

房総の作家  千葉日報
  石川啄木と楚人冠 杉村楚人冠(9)

  • 東京朝日新聞社の「朝日歌壇」選者となった石川啄木は、明治43年12月に第一歌集『一握の砂』を東雲堂より出版し好評を得た。渋川玄耳は藪野椋十の名で序文を書いている。渋川の抜擢に賛成しながらも一抹の不安を抱いていた楚人冠は、歌集の快挙に喜んだことだろう。
  • 『一握の砂』は三行分けの新書法で歌われているが、三行分けやローマ字表記からの着想以外にも、啄木に生活の悲哀の目を開かせ、生きる哀しさを歌う詩人へと変貌を遂げさせたものがある。啄木は小樽にいたとき、社会主義者西川光二郎と会い、すでに社会主義について知っていた。42年6月には啄木は幸徳秋水事件の新聞記事を集め、同主義への関心をさらに深めている。底辺に生きる人々にぼろぼろと涙する同主義者たちの姿に心打たれた啄木の姿を、彼の歌に見ることができる。
  • 結核性腹膜炎に罹っていた啄木は病状を悪化。生活の窮地を救おうと、楚人冠は社内でカンパを募り、34円40銭集まった。喜んだ啄木はその中から、以前から欲しかったクロポトキンの本を購入。楚人冠は呆れながらも啄木らしさをそこに認めている。

 (『楚人冠と啄木をめぐる人々』を参照した)
(2015-01-15 千葉日報>房総の作家)

────────────────────────────────────