生誕100年 「盛岡ノート」いまむかし4
まぶたの父は慈文 紅子を想い、「帰郷」の夢 賢治文学には深く反発
- 立原道造は、啄木に酔いながら、賢治には醒めていた。中央大准教授の名木橋忠大氏著「立原道造の詩学」によると、立原は盛岡滞在中の1938(昭和13)年、深沢紅子に次のような手紙を宛てている。
- 「今の僕はもっとちがった歌を歌いたいとおもひます。宮沢賢治をよんでいたら、宮沢賢治もかなしいうそつきです。僕がいま欲しいのはあんないつはりの花ではありません。(略)もとは宮沢賢治にはあのイメージの氾濫でだけで反発した。しかし今はもっとふかく反発します。大切な大切なもののために」。(鎌田大介)
=月1回掲載=
(2014-09-28 盛岡タイムス)
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