〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木死去の日「気温13.5度、北東の風1.8メートル、快晴」


[流氷の天使 クリオネ]


石川啄木:東京滞在時の日記、気象庁記録と照合 札幌の男性、冊子に

  • 明治の歌人石川啄木の東京滞在時の日記を、中央気象台(現気象庁)の記録と照らし合わせ、札幌市中央区、土木コンサルタント会社技術顧問の真田英夫さんが冊子にまとめた。昨春まとめた函館滞在時に続く調査。主要図書館に寄贈しており、「日記に書かれた出来事を当時の空模様や気温、風を通して想像をふくらませてほしい」と話している。
  • 道内で暮らしていた啄木は1908年4月5日、東京で活動するため釧路を出発。結核で死去するまで4年間暮らし、断続的に日記を記した。
  • 12年の元日は「『元旦といふのに笑ひ一つしないのは、おれの家ばかりだろうな』かう夕飯の席で言ったときには(略)母や妻の顔は見る見る曇った」。夕食ごろは空に雲はほとんどなく、気温は4〜8度、風も弱かった。
  • そして12年4月13日、啄木が死去する30分前の午前9時は気温13・5度、北東の風1・8メートル、快晴だった。みとった歌人若山牧水の「はなしかけてゐた唇をしのままに、次第に瞳があやしくなってきた。老父は『もうとても駄目です、臨終のようです』と云(い)った」との記録を紹介している。
  • 真田さんは今年、2回上京して気象庁の図書室で、1時間ごとの記録を調べ、啄木の葬儀を行った台東区の「等光寺」など足跡もたどった。「日記には間違いや誇張もあるかもしれないが、気象データは残っている記録の中で最も信頼できる公式記録。啄木の考えや行動に影響したかもしれず、どんな生活を送ったか裏付ける手段になる」と話している。【去石信一】

(2013-01-15 毎日新聞>北海道)