〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 うたの風景 第27・28回」岩手日報


[ストロベリーツリー 実]


第 27 回
第二部 漂泊の旅路(11)
  萩浜(宮城県石巻市
  上京途中 短い春体感

○ 「飄泊の一年間、モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬといふのが其最後の結論であつた」
古里を離れ、北海道に渡って1年後。啄木は文学に専念することを決意し、友人の援助を受けて函館から横浜に向かう船に乗った。宮古沖を通過し翌朝、宮城県牡鹿半島にある荻浜に寄港。


   港町
   とろろと鳴きて輪を描く鳶を圧せる
   潮ぐもりかな

  • 石巻市萩浜の羽山媛神社鳥居横にある歌碑は啄木生誕90年の1976年、仙台啄木会と地元住民が建てた。
  • 啄木が立ち寄った萩浜の大森旅館は後に山際から海沿いに移転。昨年3月の津波は地域一帯をのみ込み、旅館も倒壊。山際の高台にある歌碑は下半分まで水が押し寄せた。

今も宿泊の問い合わせがあるが、旅館は廃業する予定という。

(2012-10-10 岩手日報
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第28 回
第二部 漂泊の旅路(12)
 北畠さん(釧路啄木会会長)インタビュー
  76日間 充実の日々

○ 厳寒の北海道・釧路で新聞記者として2カ月余り過ごした啄木。充実した記者生活の一方、文学から離れた孤独な暮らしから高級料亭に出入りし、酒に親しむ日々となった。釧路啄木会会長の北畠立朴さんに釧路と啄木について聞いた。

  • 啄木にとって釧路はどんなものだったのか。「一番充実した時。新聞社では思うように記事を書き、紙面作りもできた。平均して2日に1回は高級料亭に行った。僕の調べた範囲では一人では行かない。必ず誰かと行き、芸妓と二人きりにはならないし、一人で最後までいることはなかった」
  • 釧路市内の啄木文学碑は28基。今は「日本一、啄木を大切にする街」を掲げる。顕彰活動は当初から活発だったのか。「釧路短歌会が中心になり、1934年に米町公園に碑を建てたが、世の中は社会主義共産主義はダメだと。昭和30年代、本格的な研究が始まった。当時、啄木の評判はあまり良くなかった。実際に啄木に金を貸して苦労したという人がいなくなり、啄木研究の紹介などで、市民の理解が深まった。4年前の啄木来釧100年記念展覧会には2週間で2千人が訪れた」
  • 啄木の魅力は?「若い時は恋をすると啄木のロマンチックな歌を読む。結婚して父親になると、違った目で啄木を見るようになる。啄木の歌に対する愛着心や深まり方は年齢とともに変わってくるところが魅力でしょうね」

(学芸部 小山田泰裕)

(2012-10-17 岩手日報