- 今年度は石川啄木没後100年にあたり、石川啄木記念館での企画展、啄木ゆかりの地フォーラム、紙芝居の作成などの事業を計画している。大震災から1年、このような事業を実行できるまでになったことに喜びを感じている。
- 記念企画は、平成22年度から3年計画で始まった。2年度の昨年は百回忌だった。記念館では、「石川啄木没後百年記念事業実行委員会」を設立するため、3月11日16時から会議を予定していた。その矢先の大震災であった。当然、会議は流れた。盛岡市内は大きな被害はなかったものの、三陸沿岸地域にいる親族、友人、知人を思い、不安と悲しみと絶望に包まれていた。そのような人々の前には、文学は無力であることを痛感した。どのような言葉も、どんな偉人の名言も空虚に感じた。そして犠牲になった人々を思い、ただただ涙を流すしかなかった。
- 早くから社会問題に関心を寄せ、庶民の暮らしに目を向けていた啄木は、文学と生活は何ら間隔なきものでなければならないと考えた。何にも拘束されず、歌いたいことを自由に歌にすることができた啄木は、明治43年12月1日に歌集『一握の砂』を発行した。そして、年が明けて間もなく発病し、1年間の闘病生活の末、明治45年4月13日に26歳の若さで亡くなった。その2カ月後に第2歌集『悲しき玩具』が出版されたのである。
- 啄木の歌は、人々の心の奥深い所にある悲しみを引き出してくれる。次のステップに進むためには、泣くことも大切である。被災された人々は、徐々に悲惨な状況を語り、啄木の歌に心を癒やされている。
《頬につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず》(『一握の砂』所収「我を愛する歌」)
《しっとりと/なみだを吸へる砂の玉/なみだは重きものにしあるかな》(同)
- 歌の力は偉大である。心髄に触れて、歌に全身全霊を預けることによって癒やされていく。
(2012-04-29 産経ニュース)