【次代への名言】産経ニュース>文化>学術(文化部編集委員 関厚夫)
- わが道を往く編(21) 4月13日
- わが道を往く編(22) 4月14日
- わが道を往く編(23) 4月15日
- ≪やり場にこまる拳(こぶし)をもて、/お前は/誰を打つか。/友をか、おのれをか、/それとも又罪のない傍らの柱をか≫
- 同じように感じたことがある方も多いのではないか。これは、石川啄木が自分では解決のしようがない怒りやいらだちに見舞われたときの詩であろう。
- わが道を往く編(24) 4月16日
- 《石川は、全快したら、これこれのことをすると、苦しさうに、しかし、笑ひながら語つた。かへりがけに、石川は、襖を閉めかけた僕を「おい」と呼びとめた。立つたまま「何だい」と訊くと、「おいこれからも、たのむぞ」と言つた》
- 石川啄木は明治45(1912)年4月13日、東京の片隅で息を引き取る。享年26。右は死後に親友、土岐善麿の尽力で出版された歌集『悲しき玩具』のあとがきにある、2人の最後の会話である。
- 《ぼくにとって倖せだったのは、晩年の啄木と交遊をもったことである。このころの彼は、初対面に感じたキザな態度がなくなり、できるかぎり欠点をなくしようと努力する真面目な態度で、常にみずからを正しくみつめようとしていた》
- 「薄倖(はっこう)」ではなく、「不屈」。そんな啄木の真骨頂を土岐は伝えている。
(2010-04-13〜16 産経ニュース>文化>学術)