〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木 わが道を往く


ベニバナトキワマンサク


【次代への名言】産経ニュース>文化>学術(文化部編集委員 関厚夫)

  • わが道を往く編(21) 4月13日
    • 「いらだてる心よ汝(なれ)はかなしかり/いざいざ/すこし呿呻(あくび)などせむ」(石川啄木
    • 100年前のおととい、石川啄木は初歌集を完成させた。
    • この歌集はしかし、「とうとう売れなかつた」。
    • でも、啄木はあきらめなかった。
    • 彼は収載する歌数を倍にし、一首を三行書きするという斬新なスタイルで再編集する。そして8カ月後、『一握の砂』の題名で出版されたこの歌集は、日本の近代文学を代表する名作となる。
  • わが道を往く編(22) 4月14日
    • 「見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。」(石川啄木 『飛行機』から)
    • 石川啄木はなかなかの名記者だった。
    • 「東欧は殆ど年が年中小紛擾。為に全欧の国力均勢は常に其危機を脅かされ、ややもすれば怖るべき世界的大戦の禍根が萌芽せん」。これは明治41(1908)年、釧路新聞の編集長だったころ、6年後の第一次大戦を予言した記事だ。「政府に盲従するを以て愛国の本義なるが如く説く偽愛国家の言動を憎む」という文章もみえる。
    • 親友、金田一京助は解説する。「飛行機とは明日への希望。それを与えようとする、啄木の父のごとき大きな愛が感じられる」
  • わが道を往く編(23) 4月15日
    • ≪やり場にこまる拳(こぶし)をもて、/お前は/誰を打つか。/友をか、おのれをか、/それとも又罪のない傍らの柱をか≫
    • 同じように感じたことがある方も多いのではないか。これは、石川啄木が自分では解決のしようがない怒りやいらだちに見舞われたときの詩であろう。
  • わが道を往く編(24) 4月16日
    • 《石川は、全快したら、これこれのことをすると、苦しさうに、しかし、笑ひながら語つた。かへりがけに、石川は、襖を閉めかけた僕を「おい」と呼びとめた。立つたまま「何だい」と訊くと、「おいこれからも、たのむぞ」と言つた》
    • 石川啄木は明治45(1912)年4月13日、東京の片隅で息を引き取る。享年26。右は死後に親友、土岐善麿の尽力で出版された歌集『悲しき玩具』のあとがきにある、2人の最後の会話である。
    • 《ぼくにとって倖せだったのは、晩年の啄木と交遊をもったことである。このころの彼は、初対面に感じたキザな態度がなくなり、できるかぎり欠点をなくしようと努力する真面目な態度で、常にみずからを正しくみつめようとしていた》
    • 「薄倖(はっこう)」ではなく、「不屈」。そんな啄木の真骨頂を土岐は伝えている。

(2010-04-13〜16 産経ニュース>文化>学術)