〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「小樽なつかし写真帖」石川啄木の記したことは本当だった !?


【小樽日報社跡】


「啄木の過ごした街。」
  <小樽なつかし写真帖>第52号 2008年11月

  • 今まで啄木が記者をしていた小樽日報社の社屋として紹介されていた写真は、どう見ても質素な民家のようだった。
  • 「(小樽日報)社は木の香あらたなる新築の大家屋にして、いと心地よし…」(明治40.9.28.日記)「社は新築の大家屋にて、万事整頓致居、編輯局の立派なる事本道中一番なる由に候…」(明治40.10.2.岩崎正宛の手紙)

啄木の日記や手紙から考えられるイメージとは一致しないという疑問を私(小樽啄木会会長・水口忠氏)はずっと持ち続けてきた。

  • 1907年(明治40)に撮影されたとみられる小樽市内を一望する写真が、二年ほど前に所有者から小樽市総合博物館に寄贈された。この写真に建設中の社屋が写っているのを「小樽なつかし写真帖」編集委員会のメンバーが発見した。
  • 「これまでの疑問が一気に氷解した」(水口忠氏)
  • 石川啄木は見栄を張ったのではなく「(二階建ての)立派な社屋を持つ新聞社だったことは、啄木の小樽の軌跡をたどる上で貴重な発見だ」(国際啄木学会理事・近藤典彦氏)
  • この建物は1926年(大正15)、火災により全焼した。

(「小樽なつかし写真帖」北海道新聞夕刊・小樽市内別刷り 第52号 2008年11月)
(2008-11-08 北海道新聞夕刊)
(2008-11-11 北海道新聞 小樽・後志)