【啄木終焉の地碑・東京都文京区】
5 闘病生活の苦しさにじむ
- 「新聞によると、三十一日に始めた市内電車の車掌、運転士のストライキが昨日まで続いて、元日の市中はまるで電車の影を見なかつたといふ事である」(1912年〔明治45〕1月2日)
- 「国民が、団結すれば勝つといふ事、多数は力なりといふ事を知つて来るのは、オオルド・ニツポンの眼からは無論危険極まる事と見えるに違ひない」(1912年〔明治45〕1月3日)
- 「日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日熱のために苦しめられてゐた。(略)母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた」(1912年〔明治45〕2月20日)
- 啄木の最後の日記となる「千九百十二年日記」は、こう終わっている。
(「啄木日記」の項 おわり)
(2007-04-08 日本経済新聞 SUNDAY NIKKEI α)