【倉橋健一の文学教室】(43)
石川啄木『一握の砂』
社会との葛藤が生み出した歌
- 石川啄木は斎藤茂吉と並び、近代歌人のなかでいまなお多くの読者を持ち、文学のみならず、社会思想の観点からも長く論じられてきました。その没後の人気の高さとは対照的に、生前の私生活では終生貧乏に苦しみ、わずか 26歳の若さで亡くなりました。昨年はちょうど没後 100年の節目にあたりますが、今回、啄木の歌集を取り上げたいと思ったのは、それだけではありません。
- 《はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る》
第一歌集『一握の砂』のなかの一首。啄木といえば、その代名詞のようにこの歌が引き合いに出されますが、啄木自身 19歳で結婚し、前後して寺の住職だった父親が宗費滞納で寺を追われ、両親と新妻、妹の扶養義務を負いました。生活が貧窮するなか、代用教員をしながら一家を養わなければならない“長男の宿命”が啄木の文学を創り上げたといってもいいかもしれません。
- ただ、啄木の視線の特徴はたんに生活意識の内面化にとどまらず、それを通して社会の構造的なところにまで響かせようとしている点にあります。それは『一握の砂』の編集過程を見るだけでもよくわかります。
- 最後にリズミカルな明るい歌もひとつ、ふたつ。
《たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛むあたまにひびくかなしさ》
《まれにある
この平(たひら)なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴く》(談)
○倉橋健一(くらはし・けんいち)詩人、文芸評論家。
(2013-03-10 産経ニュース>倉橋健一の文学教室)