〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

現在の「石川啄木終焉の地」 東京都文京区小石川 <1>

啄木文学散歩・もくじ

 

<動画 52秒>(街の音はありますが、音声はありません)

啄木終焉の地
 啄木は、明治44年(1911)8月7日、喜之床の二階からこの地の借家に移り、翌明治45年4月13日午前9時30分、病没するまで居住した。
地下鉄丸ノ内線茗荷谷」駅から徒歩10分。





隣地の塀にある案内表示

終焉の地から少し北東に行った角にある案内表示。これもまもまく撤去されることだろう。


引越当日の啄木日記 明治44年(1911)8月7日

八月七日
 本日本郷弓町二ノ十八新井方より小石川久堅町七十四ノ四六号へ引越す。予は午前中荷物だらけの室の隅の畳に寝てゐ、十一時俥にて新居に入りすぐまた横になりたり。いねにすけらる。
門構へ、玄関の三畳、八畳、六畳、外に勝手。庭あり、附近に木多し。夜は立木の上にまともに月出でたり



東京都指定旧跡の標示

終焉の地にあるマンションの壁には、東京都教育委員会の説明板がある。

東京都指定旧跡
  石川啄木終焉の地
  所在地 文京区小石川五丁目一一番七号
  指 定 昭和二七年一一月三日
石川啄木は明治一九年(一八八六)二月二〇日(または一八年一〇月二七日)、岩手県岩手郡日戸村(現 盛岡市玉山区日戸)の常光寺で生まれた。本名を一(はじめ)という。
盛岡中学校入学後、『明星』を愛読し、文学を志した。生活のため、故郷で小学校代用教員となり、のち北海道に渡り地方新聞社の記者となったが、作家を志望して上京、朝日新聞社に勤務しながら創作活動を行った。歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』、詩集『あこがれ』・『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』などを著した。
啄木は、明治四四年(一九一一)八月七日、本郷弓町の喜之床(現・文京区本郷二丁目三八)の二階からこの地の借家(当時の小石川区久堅町七四番四六号)に移り、翌年病没するまで居住した。
この地に移った啄木は、既に病魔に侵されていた。明治四五年四月一三日午前九時三〇分、父一禎、妻節子、友人の若山牧水に看取られながら、結核により二六歳の若さで亡くなった。法名は啄木居士。
   平成二〇年十二月  設置
                東京都教育委員会




この場所に啄木終焉の地の石碑や展示が・・・

ここには国家公務員宿舎があった。文京区はこの場所に高齢者のショートステイ施設をつくり、その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建てる。施設の室内には啄木に関するパネル展示などのコーナーを設け、施設の外には隣接地が啄木の終焉の地と示す石碑を建てる予定だそうだ。



啄木最後の日記「千九百十二年日記」
   1912年(明治45年)

二月二十日(火)
日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。
さうしてる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかかつた。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。
母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。


啄木日記はこの日で終わる。この2月20日は奇しくも啄木26歳の誕生日。
明治45年(1912)4月13日、26歳2カ月、石川啄木この地で死去。法名は啄木居士。






更地に立つ国有地の看板

• 文京区長のことば(2012年7月5日「啄木学級 文の京講座」)
文京区にある「石川啄木終焉の地」は、以前、国家公務員宿舎となっていた。今年、国から打診があり高齢者のショートステイ施設をつくることになった。その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建て、啄木顕彰の発信をしていきたい。

石川啄木終焉の地に石碑 文京区、介護施設内に展示物 (2012年7月5日 日経新聞
東京都文京区は10月、歌人石川啄木の終焉の地に隣接する国有地を取得する。2014年度をめどにショートステイ(短期入所生活介護)の施設を整備し、室内に啄木に関するパネル展示などのコーナーを設ける。施設の外には隣接地が啄木の終焉の地と示す石碑を建てる。

 

「啄木終焉の地」歌碑等建設にご協力を!

   呼吸すれば、
   胸の中にて鳴る音あり。
    凩よりもさびしきその音!


   眼閉づれど
   心にうかぶ何もなし。
    さびしくもまた眼をあけるかな


「啄木終焉の地」歌碑等建設にご協力ください
石川啄木は 1912 年(明45)4月13日、小石川区久堅町 74の46(現・文京区小石川 5-11)で26年の生涯を閉じました。この地には1967年以来「都旧跡 石川啄木終焉の地」の石碑が建てられていました。この石碑は建造物新築に伴って撤去され、今は新ビルにプレートがあるだけです。
このたび文京区は、終焉の地の一画に「啄木歌碑」を建立し、「啄木顕彰コーナー」も設置するという英断をくだしました。完成は 2014年度の予定です。
碑に彫り込む歌は啄木が死の2カ月前に作った右(このブログでは「上」)の2首にしたいと考えています。
みなさまのご支援ご協力を切にお願いします。


  呼びかけ人一同
  啄木終焉の地歌碑建設実行委員会
   会長   井上義一(久堅西町会前会長)
   副会長  近藤典彦(国際啄木学会名誉会員)
        三上満(教育評論家)
   事務局長 大室精一(国際啄木学会理事)

募金の振込先
*払込取扱票の場合 → ゆうちょ銀行振替口座 00190-8-429988(啄木終焉の地歌碑建設実行委員会)
*現金書留で送金、または呼びかけ人等に募金をゆだねる場合、氏名・住所・電話・金額をいっしょにご提出ください。
*募金金額は、個人は一口 1,000 円、団体は一口 10,000 円とし、何口でもかまいません。
*事務局 桜出版内
      〒162-0835 東京都新宿区中町1-11
       電話 03-3269-3420  FAX 03-3269-8480
       e-mail  sakuraco@leaf.ocn.ne.jp