『文学に描かれた「橋」』
磯辺勝 著 平凡社 2019年9月13日 発行
一、幣舞橋を見た人々
- 記録としてなら、もっと古いものはいくらでもあるだろうが、文学作品の上で幣舞橋を書き残した人といえば、おそらく石川啄木(1886〜1912)が最初であった。
- 当時の北海道は、啄木のような二十二、三歳の青年でも、役まわりにさえはまれば、新聞社でも大いに腕のふるえるような時代であったことがわかる。そういう活気のある土地に身をおいたからこそ、啄木の才能が花開いたことも事実だった。北海道での生活を抜きにしては、啄木の歌というものは考えられないのである。
- 啄木は釧路新聞紙上に、「ゆめみる人」という署名で何編かの詩を発表した。
「幣舞橋」
傾きかけしあやふさに、
行き来の人等かく思ふ。
三月とざせる川氷
とけなばやがて彼の橋の
くづれ落つ可き時こんと。
されど官吏も商人も
はた馬、車、馬橇さへ
そしらぬ顔に行き交ひて、
見よ彼の橋の日をまた夜
流れに舟は下過ぐる。
柱歪みて欄よれて
追いてみにくく横たはる
悲しきさだめ――自づから
渡ればなげくきしきしと――
彼の幅狭の長き橋。
これだけの詩を書いた啄木が、『日記』のなかで一度も幣舞橋のことを書いていないのは不思議な気がする。啄木の見た幣舞橋は、幅が狭いとはいえ、馬や車や馬橇が擦れ違っていたのだから、かなり幅のある橋だったに違いない。ただ、橋脚は歪み、欄干はよじれて全体に傾きかけていた。上流の氷でも解けたら、落ちるかもしれない、という風情である。ここで啄木の詩を論じるつもりはないが、私は数多い啄木の詩の中で、この「幣舞橋」は面白いもののひとつだと思った。