なぜ働いていると本が読めなくなるのか
第2回 明治時代の読書と労働―自己啓発書誕生の時代
三宅香帆
1. 活版印刷による「黙読」文化誕生
●長時間労働と明治時代の幕開け
日本の労働が現代の様式と近くなったのは、明治時代――日本が江戸幕府から明治政府へその政権を移し、そして欧米から取り入れた思想や制度によって近代化を成し遂げようとする時代のことであった。
そもそも「労働」という言葉が使われ始めたのも、明治時代に変わってからだった。翻訳語で「労働」という言葉が広まり始めた頃、日本人の働き方はすでに長時間労働の傾向にあったという。『仕事と日本人』(武田晴人)[i]によると、明治時代の日本の工場労働者たちは、農民時代と比較して長時間働くようになっていたのだ。
- 西欧での残業に対する考え方と比べると、日本では残業は一般化していたようです。先ほどの日本工業協会の資料によると、一九三七年に東京の工場ではかなりの長時間の残業が観察されています。この年は、まだ本格的に戦争経済には突入していない時期です。この年の調査によると、一日の平均残業時間は二時間前後で、染織(繊維)工業や機械器具工業の男子では三時間に近く、最長では化学工業の一二時間、これは昼夜連続して交代勤務を通しで働いたということでしょう。
(『仕事と日本人』p172)
武田はこのような状況の背景に「労働組合が弱かったこと」「残業による割増賃金が魅力的だったこと」があったと指摘する。[ii]
当時、石川啄木はすでに「最近はみんなせっかちだ」と嘆いていたらしい。
- 意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急(せっかち)なる」という事に過ぎないとも言える。同じ見方から、「我々近代人は」というのを「我々性急(せっかち)な者共は」と解した方がその人の言わんとするところの内容を比較的正確にかつ容易に享入(うけいれ)得る場合が少くない。
(「性急な思想」石川啄木[iii])
労働という概念が輸入され、工業化が進み、それにともない労働時間も増えていった明治時代。おそらく当時の人々がせっかちにならざるを得なかった。そこに急速な時代の変化が背景にあったのは確かなのだろう。
[i] 武田晴人『仕事と日本人』ちくま新書(筑摩書房、2008年)
[ii] さらに武田は『仕事と日本人』の中で、あるフランス人が大阪の都市の印象を1897年時点で「人々せわしげに動き周り、駆け回るばかりだ」と感じていたことを紹介している。
[iii] 石川啄木「石川啄木集(上)」新潮文庫(新潮社、1951年)
(2023-01-31 集英社新書プラス)
明治時代の読書と労働―自己啓発書誕生の時代 – 集英社新書プラス