〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

『一握の砂』について考えてみよう -なるほう堂-

シロミマンリョウ

大胆に率直にーー石川啄木『一握の砂』

概要
 石川啄木の最初の歌集。1920(明治43)年12月1日刊行。「食ふべき詩」(明治42年11月)のころに、旧来の新詩社風の詩風を脱して、率直な現在の生活に即した歌を歌うようになり、それを反映させたのがこの歌集である。

内容
 『一握の砂』の新しさは二つあって、一つが「三行書きにした新しい表記方式」である。もう一つが「日常語を用いた平易な表現」である。これが読者に啄木の短歌への親しみやすさを与えている。

章は5つありそれぞれ題がついている。

1.我を愛する歌(151首):大部分が43年の作である。啄木の有名な歌はここに収録されている場合が多い。

2.煙(101首):大部分が43年の作。幼少期を回想した歌が収録されている。

3.秋風のこころよさに(51首):41年作が主体である。章題からもわかるように、明るい歌が多い。

4.忘れがたき人々(133首):函館から札幌、小樽を経て釧路まで転々とするなかで経験してきたことを回想した歌。

5.手套を脱ぐ時(115首):大部分が43年の作。最後の長男真一哀悼の歌は非常に悲しい歌である。

解説

 よく言及される箇所を取り上げて解説しよう。

題名『一握の砂』について

 「一握の砂」というフレーズは、歌集の2番目に登場するので、それを元にした題名である。

    頬につたふ
    なみだのごはず
    一握の砂を示しし人を忘れず

 歌の意味を考えてみよう。よく考えるとすこし難しい。

 のごはず、というのは、のごう=ぬぐう(拭う)の否定形で、拭わないということである。問題は三段落目だ。一握の砂を比喩ととればよいのか、それとも実際の砂ととるべきなのか。そして、「示しし人」とは一体誰なのか。「砂」関しては比喩だと取るのが一般的であり、一握の砂とは短歌のことだとする見方が有力である。すると…………

(2022-12-29 なるほう堂)

 

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