《 いまだから 》
♬ mapで楽しむ「啄木の足跡めぐり」<19>北海道釧路市 53
53 料亭しゃも寅跡
火をしたふ虫のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき
啄木
所在地 釧路市浦見8-2 料亭しゃも寅跡
建立 1983年(昭和58)8月5日
啄木は、この「しゃも寅」と、百米ほど離れた「喜望楼」と、そのすぐ隣りの「鹿島屋」というふうに、狭い地域を中心に行動していたようである。よく云われるが、近くにある“しゃも寅の井戸”は、この料理屋の構内にあった昔からの自然噴井戸である。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)
喜望楼は釧路で一、二の料亭で、啄木もよく出入りしたところ。しゃも寅は小奴がいたことで知られる料亭で、酔った啄木がそこの水を飲んで酔いをさましたという。“しゃも寅の井戸”には、今も冷水が湧き出している。
(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政)
「しゃも寅の井戸」由来 (井戸にある案内板)
幣舞町から浦見、米町にかけてところどころに自噴する地下水は、先住民の生活にはかけがいのない生命の源泉であった。
江戸時代の和人来住以後も人びとの飲料やクスリ地酒として知られた酒の良質な醸造用水として利用されていた。
特にこの井戸水は清冷美味であったため大切にされた、明治四十年ごろこの付近にあり弦歌紅燈で賑わった料亭しゃも寅の名に因み「しゃも寅の井戸」と呼ばれてきた。
明治四十一年(1908年)釧路新聞記者として赴任した石川啄木 が料亭しゃも寅の芸妓小奴と交情を深めたことから、市民は滾々と湧きつづけるこの井戸水に啄木の小奴へのつきぬ想いをみ、愛着を深めている。
また詩人深尾須磨子が美味良質であるこの名泉の水を賞し、掬う柄杓には折柄ふり仰いだ北斗七星(柄杓型)こそがふさわしいとし”天に北斗、地にしゃも寅の水”と謡った豊かな詩情が、この井戸の声価を一段と高めた。
ストリートビューでは、啄木歌碑の文字までよく読める。