〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

半世紀近く前に書かれた「外岡秀俊の啄木像」が指し示す道

オニユズ

下山進=2050年のメディア第12回】

外岡秀俊『北帰行』復刊 46年前のこの小説に新聞社再生のヒントあり

  • 外岡のことはすでに、前のサンデー毎日で二度書いている。『世界名画の旅』を始めとする新聞記者らしからぬ名文の記事を次々ものし、2006年から2007年までは編集局長、ゼネラルエディターという管理職も務めた。
  • この『北帰行』はその外岡が、朝日新聞に入る前、まだ東大の学生時代に書いた小説だ。1976年に単行本になっている。今回、この小説をとりあげることにしたのは、この半世紀前の小説と外岡のその後の朝日での生き方自体が、現在苦境にある新聞の再生のヒントになるような気がしたからだ。
  • この小説は、U市という炭鉱街で生まれた三人の男女の失われゆく故郷と、石川啄木が、盛岡での代用教員を辞め、一年だけ北海道に暮らしたその足跡を重ね合わせて描く。
  • 実は今、読んでみると、この北海道時代の石川啄木は、未来の外岡を暗示しているようだ。詩人石川啄木は、すでに北海道にわたる時には、その詩名はとどろいていたが、もちろんそれだけでは、食べていくことができず、函館の新聞社に職をえて記者となるのだった。
  • 『北帰行』の中で外岡は、社会主義者無政府主義者としての啄木と吟遊詩人としての啄木をどう考えたらいいのか、ということを主人公の「私」に追わせている。それは常に分裂したものとして批評家からとらえられていた。しかし、と主人公である「私」は啄木の北海道時代の足跡をたどったすえに次のような結論に達するのだ。
  • <啄木が大逆事件に異常なまでの関心を抱いてその真相を究明したのは、彼が一人のジャーナリストであったためというばかりではないだろう。彼は詩人であったからこそ、国家の犯罪を糺明せずにはいられなかったのではないか(中略)。彼はくらしの中にできた歌の小径を通って、無政府主義に赴いたのだった>
  • これは、その後外岡が朝日でたどることになる道をそのまま予言していた。
  • 今から半世紀近く前に書かれた外岡の啄木像は、そのままその後の外岡の姿であり、今日の新聞が歩まなければならない道を指ししめしている。

下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。

(※週刊朝日  2022年10月14・21日合併号)

 

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