〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

【啄木は「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい】 ドナルド・キーンさんの言葉

サンショウ

「90歳越えて深夜1時まで仕事」ドナルド・キーンの晩年を養子が語る

父は本質的に詩人だった

 2019年に惜しまれつつ逝去したドナルド・キーンさん。90歳を越えても『正岡子規』『石川啄木』といった長編評伝を発表し続けたが、その力の源泉はなんだったのか。養子のキーン誠己さんに話を聞いた。

  • 今年は父ドナルド・キーンの生誕100年の年です。神奈川近代文学館などで回顧展が開かれますが、その父が晩年に選んだテーマが正岡子規であり、石川啄木でした。
  • 子規の墓がある東京北区・大龍寺は住まいの近くですので、散歩がてら、よくお参りに行きました。また、啄木は渋民尋常高等小学校の代用教員をしていましたので、父と同じく教師でもありました。この二人に対しては特別な感情を持っていたでしょう。小説家の平野啓一郎さんに対しては、こんなふうに語っていたそうです。“『正岡子規』はどちらかというと、書かなければならないと思って書いた本でした。けれども、今連載している『石川啄木』は、書きたいと思って書いている本です”と。

啄木については、こう書いています。

〈啄木は今から一世紀も前に死に、その後の日本が大きく変化を遂げたにもかかわらず、その詩歌や日記を読むと、まるで啄木が我々と同時代の人間のように見える。読みながら、我々は啄木と自分を隔てるものをまったく感じない。〉〈千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ啄木は、日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使った。啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。啄木は、「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。〉

  • 啄木の短歌だけではなく、ローマ字で綴られた『ローマ字日記』を重んじて「傑作」とまで評したのは、紫式部や海軍情報士官だった時に読んだ日本兵の日記から日本文学の道に入った父らしいと言えるかもしれません。
  • 父は90歳を越えても驚異的な集中力と持続力を発揮できる人でした。朝起きて雑事が済むと書斎に籠り、夜の1時を過ぎても仕事を切り上げないようなことも頻繁にあって、「お父さん、これ以上は無理になりますよ」と言っても、「僕は無理が大好きです」とにっこり返されたことをよく覚えています。

(2022年6月1日談)

 

[文] キーン誠己(ドナルド・キーン記念財団代表理事
1950年、新潟県生まれ。浄瑠璃三味線奏者。2012年、ドナルド・キーン氏の養子に入る。ドナルド・キーン記念財団代表理事

(2022年7月号 新潮社「波」掲載)

 

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