評論
〈わたくしはどこにいるのか〉─生きづらさと短歌─
栁澤 有一郎
一、歌人が動くとき
2020年4月7日、七都府県に緊急事態宣言が発出された。都市部への人の流入は激減し、街はゴーストタウンと化した。
虫武一俊
よれよれのシャツを着てその日じゅうよれよれのシャツのひとと言われる(『羽虫群』)
二、侵害される〈わたくし〉
山川藍
退職をすすめるメールに顔文字がついてることに動揺の父(『いらっしゃい』)
三、生きづらさに呑みこまれる〈わたくし〉
熊谷純
とりあへずあさつてまでは生きてみてその日に決めるそのあとのこと(『真夏のシアン』)
四、シュレッダーにかけられる〈わたくし〉
萩原慎一郎
シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず(『滑走路』)
現在、社会生活のあらゆる局面に〈生きづらさ〉が存在する。現代社会を生きるとは、〈生きづらさ〉を生きることである。〈生きづらさ〉に呑みこまれながらも、生身の血のかよった〈声〉を上げること、それこそが、〈わたくし〉を手元に置いておくための最善の方法だと信じて疑わない。
評論
俵万智と石川啄木
〜若山牧水という補助線を引いて考える〜
水関 清
第一章 はじめに
第二章 それぞれの歌論〜俵万智の場合〜
第三章 それぞれの作歌技法〜俵万智の場合〜
第四章 俵万智の来歴
第五章 それぞれの歌論~石川啄木の場合~
第六章 それぞれの作歌技法~石川啄木の場合~
第八章 俵万智の恋の歌をよむ〜『サラダ記念日』〜
第九章 石川啄木と俵万智の歌を理解するために、若山牧水という補助線を引いてみる
俵も啄木も歌の題材としたのは、虚構ではなく、自らの感覚によって拾い上げあげられた生活体験である。啄木が、「自らの生活体験を、素早く、ありのままに詠むために、口語を用いる」ことで生みだした、朗誦性豊かな短歌の「しらべ」。俵が、「定型では切れるはずのところに、思わぬ形で長尺言葉を組みこむ」ことで具体化した、独特の「リズム」の面白さ。
俵万智は、このようにして、「石川啄木を継いだ」のである。