2022.4.19 みすず野
- 明治41(1908)年、洋行帰りの荻原碌山は第2回文部省美術展覧会に《坑夫》など3点を出した。石川啄木が会場でそのうちの1点《文覚》に目を見張り、日誌に〈この豪壮な筋肉の中には、文覚以上の力と血が充満してゐさうだ〉と記す。
- 文展は帝展、日展と名称を変えて今日に至る。巡回展の安曇野展が23日に豊科近代美術館で始まる。一昨年に小欄が引いた主催者の言葉「112年前から日展は安曇野を知っていた」は、この碌山の出品を指す。招致の実現は芸術の土壌あってこそ。さらに2年越しで夢がかなう。
- 114年前の文展で高村光太郎は《坑夫》の落選を聞き〈なんというくだらない審査員たちだろう〉(南安曇教育会刊『荻原碌山』)と憤慨した。
(2022-04-19 市民タイムスWEB 松本・安曇野・塩尻・木曽 信州の地域紙)
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