「女啄木」ではなく、わたしは 寄稿、作家・くどうれいん
- わたしが「女啄木になれ」と言われたのはたしか中学生の時だったと思う。地元の俳句会に通い始めたあたりのことだ。岩手県盛岡市渋民(旧渋民村)に住み詩歌を書いている、と伝えた時の反応がその言葉だった。褒め言葉だろうと思ったので「はあ、ありがとうございます」と答えたが、その後しばらく悶々(もんもん)とした。女啄木とはなんだろう。ぢっと手を見ろということか?
早死にしろということか? - 渋民で小学校中学校時代を過ごす上で、石川啄木との縁は切っても切れないどころか、いつまでたってもついて回ることのように思えた。郷土の歌人として彼のことを習うとき、わたしは「ふるさと」というものがとてもきらいだった。
- 高校生になり短歌をはじめてから、「期待の文学少女」として啄木と比べられることはより一層多くなった。
- そうしているうち、啄木の没年である二十六という齢(よわい)になった。ここは「啄木のふるさと」であるまえに、「わたしのふるさと」だ、と、啄木の亡くなった年齢と同い年のうちに、今年四月、思い切って第一歌集を出版した。
[1994年生まれ。盛岡市出身、在住。コスモス短歌会所属。2020年にエッセー集『うたうおばけ』、21年に歌集『水中で口笛』(工藤玲音名義)を刊行。小説『氷柱(つらら)の声』は21年上半期の芥川賞候補作。]
(2021-12-01 朝日新聞)