知る!TOKYO
東京で亡くなった漂泊の歌人「石川啄木」の遺骨は、なぜ北海道へと引き渡されたのか?
合田一道(ノンフィクション作家)
歌集『一握の砂』『悲しき玩具』で知られる歌人、石川啄木。岩手県に生まれ、26歳のとき東京で生涯を閉じるまで、彼はどのような人生を送ったのでしょうか。ノンフィクション作家の合田一道さんが、ゆかりの地をたどりました。
・啄木、最期の地は文京区に
“漂泊の歌人”と言われた石川啄木が東京・小石川区久堅町(ひさかたちょう、現・文京区)の借家で、肺結核のため亡くなったのは1912(明治45)年4月13日。妻節子、父一禎、友人の若山牧水らが枕辺でその死を看取りました。享年26。
葬儀は歌人・土岐哀果の厚意により、その実家である浅草松清町(現・台東区西浅草)の等光寺で行われ、約50人が参会しました。ちなみに母カツが亡くなったのが3月7日で、その葬儀もここで営んでいます。短期間の間に不幸が相次いだのです。処女歌集『一握の砂』に続く第2歌集『悲しき玩具』が出版されたのは、葬儀から2か月後のことでした。
啄木の最期の地となった久堅町は、今は文京区小石川5丁目と呼び名が変わりましたが、住居跡地には高齢者施設「珠泉会館」が建っており、1階の一室が「啄木顕彰室」として啄木にまつわる資料が展示されています。
・「浅草の夜のにぎわひに」
葬儀を催した西浅草の等光寺境内には、次の1首が刻んだ碑があります。
浅草の夜のにぎわひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
でも、啄木の葬儀をした等光寺に残るものは「過去帳」に記された「啄木居士」の戒名だけで、遺骨はここにないのです。
・啄木の遺骨、いったいどこに
・漂泊の歌人と呼ばれるゆえん
・啄木の歌碑、全国各地に
啄木の歌碑は、東京や北海道だけでなく、青森、岩手、宮城、福島、栃木、茨城、広島、福岡と各地に数多く建っています。
そのひとつひとつに啄木の熱い思いが込められているのを感じます。
(2021-11-17 URBAN LIFE METRO)
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